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神宮における新型コロナウィルス感染症拡大防止のための対応について(9/23更新)

エントリー投稿日:2020/09/23

お知らせ

神宮では日々の祭祀を厳修し、皇室の御安泰と国家の安寧、国民の平安を祈念しておりますが、新型コロナウィルス感染症の一日も早い終息を願い、当面の間下記の感染症拡大防止対策を継続しております。
10月1日(木)より、内宮・外宮の御垣内における参拝が再開されますが、密集・密接を避けるため通常とは異なるご案内をする場合がありますので、予めご了承願います。
勾玉会会員各位様には、ご不便をお掛け致しますが、引き続きご理解、ご協力を頂きますようお願い致します。

■伊勢神宮参拝について
一般参拝は午前5時から午後5時までとなります。
(各別宮も同様となります。)

■御垣内における参拝について
10月1日(木)より、内宮・外宮の御垣内における参拝を再開いたします。
 取扱時間は、午前8時30分〜午後4時30分とします。
なお、密集・密接を避けるため、通常とは異なるご案内をする場合がありますので、予めご了承願います。

■御祈祷について
・8月17日(月)より、内宮・外宮神楽殿での御祈祷(御神楽・御饌)を再開しております。
 ・御祈祷に際しては、各御殿の登殿人数に制限が設けられています。
(内宮神楽殿40名、内宮御饌殿10名、外宮神楽殿20名)
・人数制限を超えている場合は、お申込みできない場合があります。
(事前の予約はできません)
・御殿内の消毒清掃のため通常より待ち時間が長くなる場合があります。

■諸施設の開館状況等について
・内宮参集殿の一部(授与処及び南休憩所)のみ当面の間閉鎖しております。
・その他の施設は通常どおり入館・利用いただけます。
・なお、神宮の博物館施設である「神宮徴古館農業館」「神宮美術館」「せんぐう館」においては、新型コロナウィルス感染症防止のため、ご入館の皆様にマスクの着用をお願いするとともに、入館者が過密になると予測される場合は入館一時規制等の対策を講じております。

令和2年9月23日
一般財団法人 伊勢神宮勾玉会
代表理事(会長) 武本 俊

伊勢神宮外宮式典のご案内

エントリー投稿日:2020/09/14

令和2年10月17日(土)〜18日(日)に下記の行程で伊勢神宮参拝及び外宮奉納献茶式を執り行います。
この2日間、新型コロナウィルスの感染拡大防止に向けて以下の感染予防策をとりながら万全に努めて参ります。

伊勢神宮外宮式典のご案内

伊勢神宮参拝及び奉納献茶式における感染予防策

神々のつぶやき No.37 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2020/09/01

        我が輩はねずみであります。
        ですが、以前は人間もしておりました!
        我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた話をするチュー。
 
        今回は素晴らしき日本の八百万の神々の話ではなく、異国の神々の話です。
        イエスの知られざる生涯だとさ!(その二)

        その女は言った。「子供が生き返るようにと願って今戻って来たのではありません。
        私は仏門に入るために戻って来たのです。子供は死んでしまいました。
        私もいつの日か逝くでしょう。あらゆる人が逝くことでしょう。
        決して終ることのない生へ。私を導いて下さい。」

        これこそが偉大なる奇跡だ!!だが私たちはそう考えない。
        もし子供が生き返っていたら、それは奇跡だったろう。

        その女性は変わった。
        子供の死は生への欲望を満たすために使われたのではく、放棄のために使われた。

        ブッダの弟子が空腹でも、ブッダが奇跡を行い、パンを与えたりしないだろう。
        その反対に彼は言うだろう。「空腹の目撃者になりなさい。空腹の超越のために
        空腹を立ち退かせることができるように目撃者になりなさい。空腹はあなたではない。」と。

        イエスはパンを与えなくてはならなかった。
        そしてブッダは彼の追随者たちに断食をするように仕向けなくてはならなかった。
        誰かにパンを与えることは実は奇跡ではない。
        だが誰かに断食の準備をさせることは奇跡だ。しかし奇跡とは一体何だろうか!

        私が見るにイエスがもし奇跡と言う作業に固執しなかったら
        人類へもっとましな貢献をしていただろうと言っている人たちもいる。
        奇跡と言う概念の想いを持って彼は愚か者たちを惹きつけた。
        大衆はいわゆる奇跡と呼ばれるもののためにイエスに興味を持った。
        彼は奇跡を通して彼らを助けようとしたが、それは不可能だった。
        むしろその逆で、彼自身がトラブルに巻き込まれたのだった。

        イエス様の事をこのように書いていいのだろうか?アーメン。少しお許し下さい!
        続けます。

        みんながサイババのところへ行けば彼があることをするのを見るだろう。
        だがその時、ただ愚か者だけがそれに惹きつけられる。
        もし私の手の中に指輪が出現したとして、それが何だというのだろう?
        それが精神的現象とどう関わりがあるというのだろうか?
        たとえこの家が丸ごと消え去って次に再び現れたとして・・・それがなんだと言うのだろう。
        だから私は奇跡という概念には関心が無い!

        イエスが永遠について終わりのない罰について話す時、革命の言語で語っている。
        革命家の目は常に理想と反対の結果に向いている。
        しかしブッダやマハヴィーラからは想像できない言葉だ。だがイエスは金持ちが
        神の王国に入ることは針の穴を通ることより難しいと言った。金持ちは通ることができない!
        これは共産主義の種、基本的種子だ。

        イエスは革命家であったと言う。彼は精神性のみに関わっていたのではなく、
        経済、政治・・あらゆることにも関心を持っていた。
        もし彼がただの精神霊的な人間だったとしたら、磔にされなかっただろう。
        だが彼は社会組織全体にとっても危険な者になったので磔にされたのだ!とも言っている。

        ―続くー

                アア〜アーメン
                スゴイ話しでしたチューチューチュー

                                               勾玉鼠小僧拝

                                             

神々のつぶやき No.36 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2020/08/01

        我が輩はねずみであります。
        ですが、以前は人間もしておりました!
        我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた話をするチュー。
 
        今回は素晴らしき日本の八百万の神々の話ではなく、異国の神々の話です。
        イエスの知られざる生涯だとさ!(その一)

        一、 イエスは完全に光明を得ていたか?
        二、 イエスはカシミールで別の名前で生きたのか?
        三、 聖書の中には多くの奇跡が記録されている。
          (例えばその体がすでに死臭を放っていたラザロをイエスが死の淵から蘇らせたことは?)
        四、 亡くなった人間を蘇らせることは可能なのか?
        五、 聖書に報告されている他の奇跡についてはどうか?
          (例えばイエスがパン2切れと5匹の魚で何千という人々の空腹を満たした
           という言葉だが、それについて説明はいかに?)

        いろいろあるチュー!

        さて、ここにひとつの物語が記録されている。
        ブッダはひとりの子供が死んだある村にいた。
        母親は子供のことが忘れられなくて泣き叫んでいる。
        そして自殺をして現実から逃れようとしていた。

        そこである者が言った。
        「ブッダのところへ行きなさい。彼なら何でも可能です。彼は光明を得た人です。行ってみなさい!
        彼は慈悲深い方です。彼があなたに慈悲始めれば子供は生き返るかも知れません。」
        そこで彼女は死んだ子供を脇に抱えてブッダの元へとやって来た。そして子供をブッダの足下に横たえた。
        ユダヤ人の国で、これと同じような状況の中でイエスに何が起こるかを想像してみなさい。
        もし子供が生き返らなかったら、イエスはそれで完全に終わりだったろう。
        なぜならそうしたらイエスは自らが主張するような人ではなかったことを証明してしまうからだ。
          
        だが子供がブッダの元へ連れて来られた時、彼は何と言ったと思う?
        彼は母親に言った。
        「あなたの子供を生き返らせてあげよう。だがその前にあなたはあらゆることをしなくてはならない。
        村中のあらゆる家へ行き、一度も死人の出たことのない家を探し当てるがいい。もし一度も
        死人の出たことのない家がこの村にあったら、その時には夕方私はあなたの子供を生き返らせてあげよう。」

        母親は出て行き、あらゆる人々に尋ねた。すべての家ですべての家族で誰かが亡くなっていた。
        夕方、彼女が戻ってくる頃までには、死は現実であるということ、
        死は生の一部なのだということに彼女は気づいたのだった。

        ブッダは彼女に尋ねた。
        「さてどうかな?誰かの死によって苦しまなかった人、家族、家があっただろうか?」
        その女は言った! ―続くー

                    ブッダとイエスとは何者かなぁ〜
                    チューチューチュー

                                                勾玉鼠小僧拝

                                                 

神々のつぶやき No.35 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2020/07/01

      我が輩はねずみであります。
      ですが、以前は人間もしておりました!
      我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた話をするチュー。
 
      “修行と師匠と悟りの極意だとさ!” その2
      我が輩が鼠小僧寿し太郎時代に聞き及んだ話であります。では行くべか〜!

      しかし師は言った!
      「それでもおまえは3、4日そこにいた。何も見るものはなかったとしても、見ていたはずだ。お前は何をしていた?」

      そこで彼は言った。
      「見ていましたとも!・・・夜になると番人は調理器具や鍋を拭き、すべてを並べました。
      そして朝になるとまた拭いていました。」

      師は言った!
      「それだ!それが教えだ!そのために、おまえは送られたのだ!夜になると彼は鍋を拭き、朝になると再び綺麗な鍋を拭いた。
      その意味は何か?それは、たとえ夜に何事も起こらなかったとしても、鍋はまた汚れ、再び埃がつくからだ。
      おまえは純粋かもしれない・・・今のところ・・・おまえは無垢かもしれない。
      しかし、あらゆる瞬間に清めつづけないといけない。何もしなくても時が過ぎるだけで、おまえは純粋でなくなる。
      一瞬一瞬、時の経過・・・何もせず木の下でただ座っているだけで、おまえは汚れていく。
      そしてその汚れは悪いことや間違ったことをしているせいではなく、ただ時の経過によって生じるものだ。
      埃は積もる。だから拭きつづけることだ。そして、これが最後の仕上げになる。
      おまえは自分が純粋であることを鼻にかけるようになった。そして今のところ常に清める努力をすることに気づいていない。
      わしはそう感じたのだよ」

      一瞬ごとに人の心は変わり動き再び再生する。
      ただ得た修行、人生に終止符は無く、ただひたすら磨き続ける事が己の宝であり、最大の師でもあるのだよ!
      終わり

               ギャーギャー!我がチューは目が開いたチュー!
               ニャンニャンには捕らないヒントを得たチュー!
               いい話しだったなぁ~

                                                    勾玉鼠小僧拝
                                                  

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