うさぎ丸が聞いた見たいずれも先達からのお話!お話!
“再び!心の合い鍵 マスターキー”
―全てが過ぎ去るー
もしあなたがたに、これをいつも覚えていることができたら、どんなことが起こるだろうか?
そうなったら幸福は幸福でなくなる。それは1つの位相、来てはまた去る雲のようなもの。
それはあなたではない!
それは来てはまた過ぎ去っていく。
それはあなたの存在ではない!
それは何か偶然のもの。外面の上だけのものだ。あなたはそれを見ている立会人でしかない。
「これもまた過ぎ去る。これもまた過ぎ去る。これもまた過ぎ去る・・・」と覚えて忘れずにいる、と、突如としてあなたは気分から切り離されている。
気分はやっては来るが、それはあなたではない。
それはまた行ってしまう。あなたはまったく触れられずに手つかずにあとに残される。みじめなことがやってくる。来るなら来させない。
ただこれもまた過ぎ去ることを覚えてさえいればいい。幸せがやってくる。思い出しなさい。これもまた過ぎ去ることを。
そのうちだんだんとあなたは気分のあいだに距離がつくられる。
あなたはもう気分と自分を同化しない。あなたはそれを見る立会人となって見物人のようにただ見るだけだ。もうそれに関わることなく、無関心になっている。
静けさがあなたの上に降りてくる。あなたによってもたらされたのではない静けさ、無理に鎮められたのではない静けさ、未知の源泉から<神性>なるものから<全体>から突然降りてきた静けさだ。
そうなったとき、あなたは結晶する。あなたの土台を揺るがすことのできるものはもう何もない。
何もあなたを震えさせることはできない。
何もだ。幸せも不幸せもだ。
あなたはそれらが同じものであることを今や知っている。もし表が幸福の顔をしていたら、裏は不幸の顔をしている。表が不幸の顔をしていたら、その裏には幸福がいる。
2つは同じものだ。幸福が近づいてくるとき、それは幸福であるように見えはするが、それが遠ざかるとき、その後ろ姿を見て!あれ!不幸になっている。
距離があればあるほど、目覚めもより深い。そして目覚めれば目覚めるほど、ますます距離が出てくる。
あなたは静まって動かない。これもまた過ぎ去る。これを悟るとこれは復活だ!まったく新しいものの誕生だ。古いものは退かなければならない。あなたの古い姿勢、古い考え方、哲学、主義主張、古い存在証明(アイデンティティ)、古いエゴ、これら全てが新しいものに道を譲らなければならない。
新しいものはつねにそこに在る。だが、それが出てこられるよう空間(スペース)があなたの内部にない。客人は到着しているのに主人の用意ができていないのである。
場所を空けなさい。自分の内部をもっとゆとりある空間にするのだ。空間を虚空をつくり出しなさい。
これこそマスターキー(合い鍵)である。
憶えておこう。これもまた過ぎ去る。
夢のなかでもあなたはこの言葉を知っているようにするといい。呼吸にも似ていつもいつもそこに在るということ、それがあなたを変容させる。
あなたのもっとも奥深い秘密の扉をあなた自身へのみ開くことのできる鍵である。
そしてそこから、そこを通って<実在>の本体そのものへと扉が開かれる。
またむずかしいなぁ~
ピョンピョンピョーン!
さあ神社でも行くべか!
我が輩はウサギ丸!