神々のつぶやき No.67 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

うさぎ丸が聞いた見たいずれも先達からのお話!お話!

<瞑想(信仰)とは心の整と続ける信仰> その②

一番上の兄、長兄が湖水に足を入れると同時に例の声がまた聞こえてきた。
「これらの質問に答えるがよい。さもなくば、そなたもまた死ぬことになる。もし答えることができたら、そなた自身が生きて残るだけではない。湖の水を飲むこともできるし、またその同じ水で弟たちを生き返らせることもできる。彼らの顔に水をふりかけるだけでよい。だが、まず質問に答えなければならない。」
さて、まず最初の質問だが、「人間に関するもっとも重要な要素は何か?」
長兄は答えた。
「人間に関してもっとも重要なこと・・・・それは人間はけっして学びとらないということです。」
彼は水を飲むことを許され、弟たちを生き返らせることも許された。
あなたがたは大変なもの知りにはなるかも知れないが、学びとるということはけっしてしない。
知識を学ぶこととは同じではない。知識とは借りものであってそれは鸚鵡(オウム)になることだ。
知識は詰め込むことのできるもの、それはあなたがたの記憶を一杯にする。あなたがたの頭脳はコンピューターになっていく。だが、学びとるというのはそれとは全く違う。
学ぶとは経験や体験を通して学び知るということだ。学ではとらない。
同じ過ちをくり返すことなく、もっともっと心するようになり、もっともっと目覚め、自覚するようになっていくことだ。
人間の奥深い所にある何かが絶えずあなたを挫折させていく。それをつかまえて壊してしまわないかぎり、何をやっても無意味になる。どんなことをやったとしても、あなたがやることになるのだから無益なことだ。
人間(あなたがた)は新しい過ちを発明することさえできないのかね!?
なんとまあ独創性のない!頭(マインド)なんだろう。人間(あなたがた)は同じ過ちを冒しつづける。まるで壊れたレコードのようなものだ。同じ箇所を何回も何回もくり返しくり返しくり返す。
人間関係において愛情関係において、友人関係において、仕事において・・・あなたがたは同じ過ちを冒しつづける。
そして今度こそ事情がちがってくるだろうと希望する。だが、ちがってくることはけっしてありえない。
なぜならあなたは同じなのだから。
ひとつのくり返し、それが人間(あなたがた)だ!このくり返す性質を根こそぎ落としてしまわないかぎり、変容の可能性はいっさいないだろう。
ではどうやってこのくり返しを落としたらいいのだろう?
まず第一に、そのくり返しに気付くこと。これが基本的な第一歩だ。
第二歩目は、自分の古いパターンをくり返しているときに、もっともっと目覚めていくこと。
では三歩目に大事なこと。
みじめな気持ちになったらいつでも自分の内側に眼をむけてみること。原因はそこにある。楽して喜びにあふれるときにも、内側を見つめるがいい。
その原因もそこにある。もし眼を外にむけてしまったら、偽りの原因を見つけだすことになる。それは原因などではなく、ほんとうは自分を投影したものにすぎない。それはちょうど映画館にいるのに似ている。座席に座り、スクリーンにいろいろな映像が出てくるのを観る。
しかし映写機は後ろにあり、あなたがたのほうは前方のスクリーンに焦点を合わせている。スクリーンの上には何もない。スクリーンは空っぽだ。ただ光と影とがたわむれて形を作り出しているだけだ。
人間(あなたがた)は自分の映写機を内側にもっている。
喜びの映写機、みじめな映写機、天国と地獄の映写機・・・悪魔と神を自分の内側に持っている。
悪魔を見ている感じをいだいたら、必ず自分の内側をさがすがいい。悪魔はそこで見つかる。

分かるかな?分かればスゴイ!
しかし分からないなぁ〜
ああ むずかしい〜

我が輩はウサギ丸!

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