神々のつぶやき No.63 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

OSHOが語る!
<貧乏人は寛大?金持ちは決して寛大ではない?>その②

アレクサンダー大王にディオゲネス(ギリシャの哲人)は言った!
「これにはいかにしたらなどありません」

彼は河の堤の砂の上に身を横たえていた。朝のことだが太陽が昇りかけているところだ。
彼はからだに伝わってくる砂からの詩をその絶妙なメッセージを降り注ぐあたたかい陽光を浴びながら心から楽しんでいたにちがいない。

ディオゲネスは言った。「いかにしたらなどと訪ねるにはおよびません。この堤は二人が横たわっても充分広い。あなたも衣服を脱ぎ捨てて私と一緒に寝転べばいい!」
訊くことができるような「いかに」はいっさいない。なぜ「いかに」を問うね?「いかに」はものごとを先に引き延ばすために頭が考え出すトリックだ。
もしあなたが「いかに」を問うとしたら、あなたはいかにしたら先に引き延ばせるかを求めているのだ。なぜならあなたが言っていることは何か練習とか演習すべきことがあるはずだということだからだ。
練習には時間がかかる。そしてもちろんあなたは今この現在練習をすることはできない!明日がたちまち入り込む。ひとたび明日が入り込んだらあなたはもうおしまい!

ディオゲネスは言った。
「いかにという問いなんかないんです。ただ横たわって休んだらいいでしょう。この堤には充分な広さがあるのだから」
するとアレクサンダー大王は言った。
「またにしよう。私はいつもいつの日か世界を征服したら、その時にはそんなこともできるだろうと夢みてきた。いつかは私もリラックスして休めるだろうと・・」

ディオゲネスは笑って言う。
「だとしたらあなたはバカだ。ディオゲネスは世界など征服せずとも休みリラックスできます。世界を征服してからなどと条件をつけなければ休めないとはどういうことでしょう?はっきり言わせていただこう。あなたはけっして休むことなんかできません。なぜならもっともっとより多くを求める気持ちがあるからです。この世界を征服し終わったら、もっとほかに世界はなかったかな?とそういう気持ちが出て来てより多くを求めてしまうでしょうから」

伝えられるところによれば、ディオゲネスがこのように言ったとき、つまり「もっとほかに世界はないか?」と求める気持ちが出てくると言ったとき、アレクサンダー大王は急に悲しくなったという。この悲しみはこの世界以外にはないと大王が気付くや、すぐさま襲ってきた。
一度この世界を征服してしまったら、それからはいったいどうしたらいい?もう征服したくてもほかに世界はない。より多くを求める気持ちは欲求不満におちいる。人の心理はもっともっともっともっとと止むところを知らない。
今何を手にしているかには目もくれず、たとえ乞食をしていても、あるいは帝王になっていても「もっともっと多く」と求める。
心理作用の本来の性質はより多く求めるところにあって、今何を得ているかはどうでもいい。もっともっとと求め続けることこそ、人の心理の本性だ!

金持ちはもっと多く、より多くと求めつづけ、それでいて貧しいままだ。
もっともっとと欲しつづけ貧しいままでいつづける。
だから本物の金持ちを見つけるのはとてもむずかしい。
これまでの生涯を通じて、私はほんとうの金持ちは一度しか出会ったことがない。
金持ちには数え切れないほど会ったことはあるが、真に豊かだった金持ちは一人しかいなかった。
なぜその男が金持ちだったかというのかね?
その男は金持ちの豊かさの無意味なことを理解していたからだ。
はじめて会ったとき、彼は私の足許にばく大な金を出した。が、私は言った。「私は今金を必要としていない。いつか必要になったらそう知らせよう」
するとその男(老人)は泣き始めた。どういうことかといぶかると、彼は言う。「そんなことはおっしゃって下さいますな!私は貧しい者です。金のほかには何も差し上げることができないほど貧しいのです。金以外のものは何ひとつ差し上げられないほどの貧しさなのですよ!もしこの金を拒まれたら私は自身を拒まれたかのように感じてしまいます。私にはそれ以外何もないのですから・・・・金でしたら差し上げられます。それだけが私の持っているもの。他には何もないのです!」

これは金や財産は本当の財産ではなく人自体は貧しいままだと理解するに至った人間だ。
寛大の意味することはこの人は豊かさをほんとうに生き抜いてきた世間を経験してきた。この世とは夢以外の何ものでもないとははっきり言い切れるようになった・・・ということだ。財力は豊かであるかのような幻想を与えるだけで、ほんとうに豊かにしてはくれない。
この男は幻滅したのだ。幻想がなくなったのだ。だから彼は寛大になっていった。今では彼はわかち合うことができる。今ではすべてを与えることができる。もう欲求はない、もっともっとと求めることはない。逆に自分が持っているものは何であろうと他者に配りわかち合っている。こんな人間を目に見えぬ階級では相当高い地位にいるのだろうか!

ああ~ 永かった物語でした。
何となく分かったか分からなかったか!
まあいいか。さぁ~神社でも行くトラべか!

我が輩はマガ寅!

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