うさぎ丸が聞いた見たいずれも先達からのお話を伝えよう。
OSHOからの伝言!
世俗的な名声を渇望し道を実践するコト。その②
あなたは自分の顔を見るために人々の目を覗き込み続けるーーあなたは自分の顔を知らない。あなたは懇願する。
「私について何か言ってください。言ってください・・あなたは美しいと。言ってください・・・あなたは可愛らしいと。言ってください・・・あなたはカリスマ的だと。私について何か言ってくれますか?!」
あなたは請い求める自分自身を見てきた。
「私の身体について何か言ってください。私の心について、私の理解について、何か言ってください!」
あなたは自分が誰なのか知らない。
だからあなたは探し求めるのだ。あなたは人々に尋ね続ける。
「私は誰ですか?教えてください!」
するとあなたは彼らに依存しなければならない。
そしてその美しさは、またその皮肉は、その同じ人々が自分は誰なのかを知らないことだ。乞食たちが他の乞食たちから物乞いをしている。
彼らはあなたから物乞いするようになる。だからそこには相互欺瞞がある。
あなたは自分自身を知っている人を欺くことはできない。なぜならその方法がないからだ。あなたが何かを言うなら彼は笑うだろう。
彼は「それについては心配しなくていい。私は既に自分が誰なのかを自分で知っている。あなたはその話題を止めて何であれあなたが言わなければならないことを言えばいい。私について気にすることはない。私は自分が誰なのかを自分で知っている。」と言うだろう。
心理学者は何年も前から、ある種の劣等感を持っている人々は常に野心的になる。という現象を見てきた。
実際に彼が劣等感に深く根ざしていない限り、誰も政治に参入したりしない。政治家は基本的に劣等感を持っている人々が多い。
彼らは何らかの方法で自分の優位性を証明しなければならない。
そうしなければ、自分の劣等感に耐えることはできない。
私が指摘しているのは、あなたの内側に欠けているものが何であれ、あなたはそれの代わりになるような何かを外側で蓄積しようとする、ということである。
あなたが内側で自分の生を取り逃がしていないなら、あなたは自分自身で充分である。
そしてその時だけあなたは美しい。そうして初めてあなたはいる、存在する。
ブッダは言った!人々は自らの生を犠牲にするほど盲目的に世俗的な所有物と利己的な熱情に執着する。
彼らはナイフの刃に塗られたわずかな蜜を食べようとする子供のようだ。その量は彼の食欲を満たすには決して充分ではない。だが、彼は舌を傷つける危険を冒している。
終
アアー ヤッパリ
むずかしいのう〜
神社でも行くべか!
我が輩はウサギ丸!