神々のつぶやき No.73 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

うさぎ丸が聞いた見たいずれも先達からのお話を伝えよう。

OSHOからの伝言!

世俗的な名声を渇望し道を実践するコト。その①

OSHOは常に自分の宗教を「道(ダンマ)」とただ道(ウエイ)と呼ぶ。
なぜなら彼は目標ゴールを気にしてはいけない。目標は成り行きにまかせればいい、と言うからだ。
単に道に努力し従えばいい。何かの目標に到達しようという動機さえ持たず、ただ瞑想、祈り、愛、思いやり、分かち合いの純粋な喜びから道に従いなさい。
純粋な喜びから道を実践すればいい。それから何らかの利益を得るということではない。それを商売(ビジネス)にしてはいけない。
通常、マインドは商売人だ。

年老いた父親が死にかけていて、彼の家族はベッドの周りに集まり、彼が息を引き取るのを待っていた。
老人が息苦しく死につつある時、長男はそこに居合わせたみんなに言った。
「お父さんが死ぬ時が今夜なら、早朝に街中の葬儀場で埋葬できる。葬式が早朝になるので僕たちはあまり多くの人々と連絡を取ることができないだろう。だから何台もの車や大きな部屋は必要ないし、そんなに多くの費用はかからないだろう。」
彼の娘がそこに立って兄に言った。
「わかっているでしょう、私にとって死は非常に個人的なことよ。なぜ私たちはこうした悲しい場面に立ち会うために多くの見知らぬ人たちを呼び集めなければならないの?あなた方兄弟二人がいて、そして私がいるなら、他に誰が必要なの?」
末の息子は彼ら両方を見て言った。
「僕はそれ以上は同意できない。実際のところ、なぜお父さんを葬儀屋まで運ぶ費用が必要なのだ?彼は家の中で死んでいるんだ。家で埋葬しよう。」
不意に老人の目がパッと大きく開いた。彼は三人の子供を見て叫んだ。
「ズボンをくれ!」
彼らは一斉に答えた。「お父さん、あなたはとても具合が悪いのですよ。どこに行きたいのですか?」
彼は「ズボンをくれ。墓地まで歩いて行く。わしは商売人だ。」と答えた。
生涯、人々はただただ蓄え、ため込み続ける。
様々だが何のために?生はあっという間に過ぎ去る。刻々と貴重な瞬間が去ってしまい、それを取り戻すことはできない。

OSHOはこう言う。「馬鹿げたことで生を無駄にしてはいけない。」と。
道を実践しないなら、あなたの苦労は間違った方に向けられ、あなたのエネルギーは無駄に使われる。それは線香を燃やすようなものだ。
その心地よい匂いがどれほど賞賛されても、焼き尽くす火は着実に線香を燃やしている。
あなたが内側で幸せを感じているなら、名声など気にしない。
感じない人々だけが全てではないが名声を気にする。
あなたが自分自身を知っているなら、誰かがあなたを知っているかどうかなど誰が気にするだろう?
あなたが自分は誰かを知っているなら、その必要はない。だが自分は誰かを知らない時、あなたはすべての人に知ってもらいたいと思う・・・すべての人にあなたは誰かを知ってもらいたい。
あなたは意見を集めて人々の考えを集めて、そして集めた物から何かの自己認識(アイデンティティ)を組み立てようとする。
「そうだ、私はこんな人間だ。」
人々は「あなたは非常に知的だ。」と言う。「私は知的なのだ。」と。
ただあなたは確信していない。あなたが確信していたなら、人々が何を言うかどうかを誰が気にするだろうか?!!

あなたはどう思う?

続く

ああ暑かった!9月も暑いのかなぁ~

我が輩はウサギ丸!

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