神々のつぶやき No.72 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

うさぎ丸が聞いた見たいずれも先達からのお話を伝えよう。

“OSHOからの伝言!ブッダの本質はいかに?”

世界宗教の奥義と困惑? その②

ブッダは多くの教師のところに行ったが、失望した。
彼は宗教が花開いているのを、その開花をどこにも見ることができなかった。
彼らはみんな物質的な人々だった。彼らは偉大な禁欲主義者だった。
ある人は何ヶ月も断食していた。ある人は何ヶ月も立っていた。ある人は何年も人間らしい眠りをしなかった。彼らはただの骸骨だった。
彼らの身体を見れば、彼らを世俗的で物質的だと言うことはできないが、しかし彼らのマインドを見ると「なぜ断食しているのだ?なぜそんなに頑張っているのだ?何のために?」と彼らに尋ねてみるがいい。
するとそこには楽園や天国に到達したいという欲望が、来世で永遠の満足を持ちたいという欲望が現れる。

彼らの論理に耳を傾けると、彼らはみんなこう言うだろう。
「ここでは物事は束の間のものだ。この生は儚い。たとえあなたが達成しても、すべてはあなたが死ぬ時に取り去られる。
では何の意味がある?この生は永遠に存在することはない。私たちは永遠に残るものを探している。私たちは不死を求めている。私たちは完全な満足を求めている。ここで、この生で欲望を追い求めている人々は愚かだ。なぜなら死がすべてを取り去るからだ。あなたは富を蓄えるが、死がやって来てすべては置き去りにされる。
私たちはある宝物を探している。それは私たちが自分自身で持って行くことができ、決して失われず社会が課税できないものだーー誰もそれを奪うことはできず、死でさえもできない」

あなたはこれらの人々を宗教的な人々と呼ぶだろうか?彼らはいわゆる世俗的な人よりもさらに世俗的に見える。
彼らは物質主義者たちよりも物質的だ。
もちろん、彼らの物質主義は偽装している。
彼らの物質主義には精神主義(スピリチュアリズム)の趣がある。だがそれは欺瞞だ。それはまるで堆肥の上に美しい香水を振り撒いたようなものだ。
堆肥は堆肥のままだ。香水は愚か者しか欺くことはできない。
ブッダは騙されなかった。彼は徹底的に見ることができた。
そして彼は欲望がそこにあるのを常に見ることができた。
欲望があるならあなたは物質主義者であり世俗的だ。
だから彼はあなたにどんな楽園も説いていない。彼はどんな楽園も信じていない。彼は至福を信じていないわけではない。違う。彼は至福を信じているが、それは信仰ではない。すべての楽園が失われ、すべての欲望が捨てられる時、突然、至福に満ちていることはあなたの最も深い本性になる。
そのためには、何も必要ない。美徳も禁欲主義も、犠牲も必要ない。ただ理解だけで充分だ。
ブッダの道は理解のロード。
世界の宗教を知るは正に理解のみでもあるようだ!

ああ南無 ああアーメン ああかしこみかしこみ
みんな仲良く理解する

我が輩はウサギ丸!

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