うさぎ丸が聞いた見たいずれも先達からのお話を伝えよう。
“OSHOからの伝言!ブッダの真実 その②”
君達の頭は益々こんがらがって悪くなる話。 彼は何者!
ブッダ!彼が言うには神とは安全の探求、安心の探求、避難所の探求に他ならない。
あなたが神を信じるのは神がそこにいるからではない。
あなたが神を信じるのはその信仰がなければ無力に感じるからだ。
神はいなくてもあなたはでっち上げ続ける。
その誘惑はあなたの弱さから来ている。それは投影だ。
神は支持者だ。それはあなたを助け、慰め、楽にする。
それはこう言う。
「心配しなくていい。全能の神はあなたがなぜここにいるのかをすべてご存知だ。彼は創造主であり自分が世界を創造した理由を知っている。あなたは知らないかもしれないが、神は知っておられる。そしてあなたは彼を信頼できる。」それは大きな慰めだ。神は途方もない安らぎをもたらす。人は、生は、偶然ではないと感じ始める。
特定の重要性、意味、運命の底流がある。神は運命の感覚をもたらす。
ブッダはとても変な事を言う。神は人間の創造物と言う。人間は自分に似せて神を創造した。それは人間の発明だ。神は発見ではない。それは発明だ。そして神は真実でないとも言う。それは存在する最大の嘘だと言い放す。
仏教は通常の意味での宗教ではない、と言うのだ。
神の無い宗教――あなたは想像できるだろうか?初めて西洋の学者が仏教を知った時、彼らはショックを受けた。宗教が神無しで存在できるとは理解できなかった!彼らはユダヤ教、キリスト教、イスラム教しか知らなかった。
ブッダが言う真実とは、人間の宗教は人間の発明だということだ。
ブッダは人類の歴史全体で最も破壊的な人だ。彼の努力全体はすべての支えるものを捨てることだ。彼は何かを信じろとは言っていない。彼は信じない人であり、彼の宗教は不信仰の宗教だ。
彼は「信じなさい!」とは言わず「疑いなさい!」と言う。
さて「信じなさい!」と言う宗教について聞いたことはあるが「疑いなさい!」と言う宗教をこれまで聞いたことはない。疑いがまさに方法論になる。――核心そのものまで疑い、まさに終わりまで疑い、まさに最後まで疑う。
そしてあなたがすべてを疑い、疑いによってすべてのものを捨てた時、現実(リアリティ)があなたの視野(ビジョン)に生じる。それはあなたの神への信仰とは何の関係もない。それはあなたが神と呼ぶようなものではない。
その時に現実(リアリティ)が全く馴染みがない未知のものが生じる。
しかしその可能性が存在するのはすべての信仰が落とされてマインドが成熟し、理解して「そうあるものは何であれそうなる。私たちはそうでないものを望まない。神がいないのなら、神はいないのだし、神を投影したいという願望はない。神がいないのなら、私たちはそれを受け入れる。」ということを受け入れる状態になった時だけだ。
現実をあるがままに、それに色を付けようとせず、飾り立てようとせず、それをあなたのハートがより受け入れられるものにしようとせずに、受け入れること。これが成熟というものだ。信仰や仮面、神学の後ろに隠れ続けてはいけない。
あなた自身の手であなたの生をつかみなさい。あなたの内なる光を明るく燃やして、何であれそうあるものを見なさい。そしてあなたがそれを受け入れるものに充分な勇気を持ったら、それは祝福である!
信仰は必要ない。と言っている。これも宗教の1つとも言う。彼の非信仰はとても深いので、神はいないと言う人たちさえ、そして神を信じる人たちも彼には受け入れられない。
神はただ神はいないと言うだけで何の違いもない、と言う。
あなたが子供っぽいなら、あなたは別の神となるものを作るだろう。
ブッダの道はこれまで地球にもたされた本当に1つの宗教倫理かも知れない!
ブッダの道は可能な限り最も洞察力があり、最も革命的な道かも知れない!
ああ、ブッダよ、はやり我が頭を見事にこんがらせてくれた様だ!
余計悪くなったみたいだ!
まぁこんな話もありました!
我が輩はウサギ丸!