OSHOが語る!
<貧乏人は寛大?金持ちは決して寛大ではない?>その①
ボカーラの町に一人の裕福な、かつ寛大な人がいた。
彼は目にみえる階級では高い地位を占めていたので、<世界の大統領>として知られていた。
毎日彼は病人や困った人など一日一種類の人々に黄金を分け与えていたが、ただ、口をひらく者は誰であろうと何も与えられなかった。
しかし誰もが沈黙を守れるわけではなかった・・・
「ボカーラの町に一人の裕福かつ寛大な人がいた」
これは難しい組み合わせだ。
裕福かつ寛大とは。
貧乏人は常に寛大だが、金持ちは決して寛大ではない。
だからこそ金持ちになったのだから。もし金持ちが寛大になったとしたら、それこそ革命が起こったのだ。
金持ちが寛大になるのは財産など無意味だという深い理解に至ったときだけだ。
この世が与えることのできるものなど、すべて取るに値しないと知るに至ったとき、はじめて分かち合うことがはじまる。そうでなかったら、あなたがたは集め蓄え、蓄え集め続ける。
あなたがたの志向はもっともっとと求め続けることだ。とてもきりがない。
気をつけて注意していなかったら、世界中の財宝を手に入れたとしても満足しない。あなたがたの頭はすべに持っているものには目をくれず、ただただもっともっとと言い続ける。
アレクサンダー大王がインドに向かって遠征中、こんな話が伝えられている。
大王は一人の神秘家ディオゲネス(ギリシャの哲人)に会った。
ディオゲネスは偉大なスーフィーの一人で動物のように裸で暮らすことを好んだ人だ。その裸身をあらわにした彼は、じつに美しかった。人が何かをまとって隠そうとするのは、醜さであって美しさではない。
あなたがたはなぜ体を他者の目から隠したがるのかね?裸体のどこがおかしい?
社会、文明、文化、こういったものにあなたがたの考え方は条件づけられてきて、体とはよくないものと信じ込まされてきた。
裸でいるところを見られると、あなたがたは罪悪感を感じる。おまけに法律と法廷によって裸にならないよう強制されてさえいる。
ところが大自然は天も地も海も人間以外全ての生き物は裸だ。
裸のままで本当に美しい!人間だけがどこかで醜くなってしまった。
いつの日か人がもっと目覚めるようになったら人は衣類への執着をだんだんなくしていくようになるだろう。
実用的なものとして使う事はありうる。寒いおりにはもちろん身に何かをまとうことが必要だ。が、気持ちのよい快い季節には単純で純真無垢な動物のようになってかまわないではないか。
いや、そうなってしかるべきだ。衣類の下に隠されてきたゆえにあなたがたの体は敏感な感触から遠ざかってしまった。
陽の光が肌に触れるその感触、それをたのしむ・・・
あなたがたはそのたのしみ方などすっかり忘れている。裸の体をそよ風に撫でられながら踊ること、樹々のように・・・
そんなことはあなたがたはもうすっかり忘れている。
ただ顔だけが頭だけが残された。これが残されなかったら、あなたがたの感覚すべてが鈍っていただろう。
ディオゲネスは裸で暮らした。彼の裸身の生活はきわめて美しいものだった。というのも、それは純真だったからだ。
あなたがただって裸で暮らすことはできる。が、それは歪められ倒錯した生活になりうる。そうなったら美しさはない。そうなったらあなたは露出狂かなにかで心理状態がおかしくなっているにすぎない。
ディオゲネスは動物のような裸身の生活をおくった。そしてアレクサンダー大王は、伝えられていることだが、それに嫉妬したという。
彼は贅をつくした豪華な衣服に身を包み、それでいてディオゲネスが裸でいるのを見て彼にはそれが羨ましかった。
大王は訪ねた。
「いかにしたら私もそなたのようになれる?そのように無垢でそのように美しく?」
ディオゲネスは言った!
「これはいかにしたらなどありません」 つづく。
ああ~ マガ寅も裸で山を登り下りをしていたっけ!
あの頃は楽しかったトラ!
今やったら人間様に追いかけられ衣類を着せられるトラ!
どうすっぺか!
我が輩はマガ寅!