我が輩はモゥーモゥーの牛である。
以前は人間もしておりました!
我がモゥーモゥーと人間の間で見た聞いた話をするモ~。
モゥー君から暑中見舞いとついでに残暑見舞いを送りますだ!
モゥー秋の9月だモゥー がんばっぺ!
三度読まないと!モゥ!
暑い神々の話。その①
ひとたび目覚めると人は生を全く違った風に生き始める。
その生は依然として同じままであっても、もはや以前のあなたではない。
あなたの取り組み方が違っている。あなたの流儀そのものが違っている。
すぐに感じなくてもだ!あなたは意識的に生きる!もはや手探りで暗闇を進むことはない。
あなたは頭からではなくハートから生きる。
その生そのものが愛・慈愛となり、歌、ダンス、祝祭となる。
そしてむろんあなたと触れ合った人は誰であろうと影響を受ける!それは伝染性のものだ。
それはまるで炎、暑い暑い雷神の様だ。
野火のようにどこまでも広がっていく。・・・・
神にはいっさいの束縛がない。
無限で広大なるものだ。神は大洋のようであり、私たちはまるで露しずくのようだ。
人は海の中へと消え去る術を学ばなくてはならない。それには勇気がいる。
何しろ海の中へ消え去ることは、しずくとしての死を迎えないかぎり海としての誕生は不可能だ。
種が種として死ぬとき、偉大な樹は生まれる。種が消え去る・・・
唯一その消滅を通してのみ樹は現れる。
神にはいかなる暗闇も存在しないし、光のあるところに闇はない。
暗闇は光が不在であるとき初めて現れる。それゆえ、光と闇は決して出会うことがない。
光は暗闇の存在を全く知らない。
どうやって光に知ることができるというのかね?
光がそこにあるとき、闇はあとかたもない。暗闇とは単なる不在なのだ。
神は暗闇のことなど何も知らない。そして私たちはただ暗闇しか知らない。
神と私たちとの間に橋が架からずにいるのはそのためだ。
暗闇が消え失せ光だけがあるという地点にまで私たちも辿り着かなければならない。
あなたから暗闇が消え去るとき、その日こそはこの上ない祝祭の日!
この上ない至福の日だ。だがそれは自分自身が光であることを悟って初めて可能となるらしい!
ア~ア~ タダでさえ暑いのにこれ読んでものすごく暑くなったような感じだなぁ~モゥー
つづく。
勾玉牛拝