我が輩はねずみであります。
ですが、以前は人間もしておりました!
我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた話をするチュー。
今回は素晴らしき日本の八百万の神々の話ではなく、異国の神々の話です。
イエスの知られざる生涯だとさ!(その一)
一、イエスは完全に光明を得ていたか?
二、イエスはカシミールで別の名前で生きたのか?
三、聖書の中には多くの奇跡が記録されている。
(例えばその体がすでに死臭を放っていたラザロをイエスが死の淵から蘇らせたことは?)
四、亡くなった人間を蘇らせることは可能なのか?
五、聖書に報告されている他の奇跡についてはどうか?
(例えばイエスがパン2切れと5匹の魚で何千という人々の空腹を満たした
という言葉だが、それについて説明はいかに?)
いろいろあるチュー!
さて、ここにひとつの物語が記録されている。
ブッダはひとりの子供が死んだある村にいた。
母親は子供のことが忘れられなくて泣き叫んでいる。
そして自殺をして現実から逃れようとしていた。
そこである者が言った。
「ブッダのところへ行きなさい。彼なら何でも可能です。彼は光明を得た人です。行ってみなさい!
彼は慈悲深い方です。彼があなたに慈悲始めれば子供は生き返るかも知れません。」
そこで彼女は死んだ子供を脇に抱えてブッダの元へとやって来た。そして子供をブッダの足下に横たえた。
ユダヤ人の国で、これと同じような状況の中でイエスに何が起こるかを想像してみなさい。
もし子供が生き返らなかったら、イエスはそれで完全に終わりだったろう。
なぜならそうしたらイエスは自らが主張するような人ではなかったことを証明してしまうからだ。
だが子供がブッダの元へ連れて来られた時、彼は何と言ったと思う?
彼は母親に言った。
「あなたの子供を生き返らせてあげよう。だがその前にあなたはあらゆることをしなくてはならない。
村中のあらゆる家へ行き、一度も死人の出たことのない家を探し当てるがいい。もし一度も
死人の出たことのない家がこの村にあったら、その時には夕方私はあなたの子供を生き返らせてあげよう。」
母親は出て行き、あらゆる人々に尋ねた。すべての家ですべての家族で誰かが亡くなっていた。
夕方、彼女が戻ってくる頃までには、死は現実であるということ、
死は生の一部なのだということに彼女は気づいたのだった。
ブッダは彼女に尋ねた。
「さてどうかな?誰かの死によって苦しまなかった人、家族、家があっただろうか?」
その女は言った! ―続くー
ブッダとイエスとは何者かなぁ〜
チューチューチュー
勾玉鼠小僧拝