新年明けましてお目出とうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
さて!辰まる君の出番がやって参りました。
新年早々ですが人間として人生として欠かせないであろう!お話をさせて頂きます。
―――儒教のお祀りーーー
お墓のはなしです。
これは、もう何十年になりますが、辰まる君と御縁を生じた方々のお話をぜひ伝えたく本年の始めのコラムとなりました。よき勉強となりました。
(では、はじめます)
正月早々に恐縮ですが、皆様はお墓あるいはお位牌にたいしてどのような考えをお持ちでしょうか!
何ゆえ先祖供養かということを考えたことがありますでしょうか!
これは儒教的死生観にもとづいた、先祖供養の在り方につきまして少しお話をさせて頂きます。
儒教は大変奥が深く、ここで総てが説明ができるわけでもありませんが、今後の皆様の供養事のご参考になればと存じます。
<儒教は中国・朝鮮半島・日本をつらぬく大文化である>
儒教とは親孝行等、道徳的な教えを説いている思想ではないのか。先祖供養が儒教に関係あるのか。お墓の問題は仏教の領域ではないのかと思われる方も多いかもしれませんが、決してそうではありません。
インドから発生した仏教も中国、朝鮮半島・日本という道程を経る過程に於いて色濃く儒教の影響を受けております。
逆に言えば儒教の死生観・教義・儀礼を取り入れなければ、仏教も広まることはなかったと過言してもよいくらいなのです。
私達が日頃何となく感じている死者の魂に対する考え方、それに伴う先祖供養の在り方等、日常の私達の生活に深くそして静かに影響を与えているのが儒教なのです。
われわれはこの儒教を骨格にして生きて来たと言っても過言ではありません。
「儒教」それは中国・朝鮮半島・日本、すなわち北東アジアを貫く大文化でもあります。これからの世紀又、未知の時を生きていこうとする私達及びその子孫にとって、なれない欧米近代思想に拠るよりも、我々の先祖が慣れ親しんできた儒教、過去を長く生きてきた儒教という知恵、儒教という文化、すなわち儒教の死生観を指針の一つとして今年の一年を歩んでみる事も、人生への重要なポイントかも知れません。
次回は<儒教――招魂再生>を語ります。
人間は必ず生死がある。
インド人も中国人も皆同じである。
ただ、インド人の場合はたとえこの世が苦であっても、死後再び肉体を持ってこの世に現れることができると説く「輪廻転生」という死生観である。
それでは中国人の場合はどうであろうか!
中国人は仏教が伝来するまで輪廻転生という考え方は無かった!!輪廻転生とはまったく異なる死生観を持っていたからである。それはどういう意味なのか??
続く
新顔!!辰まる君でした。宜しく!
ああ正月成り。