我が輩はねずみであります。
ですが、以前は人間もしておりました!
我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた、はたまた不思議な物語をこの1年語ります。
よろしくチュー!
【2020年 令和2年 サァー朝が新年が来たチュー】
新年の目覚め 朝の目覚め 自分の目覚め 1年 1日 の終わりの最上の締めくくり。
何事も終わる前、眠る前にマインド(心)に残された最後の思考は、朝目覚めるとき、
日・年が変わる時、最初の思考になると言います。
恐らく私達の大半はデレビドラマのイメージで膨れ上がったマインドや
過去の苦悩や将来の不安とともに眠りにつくのでしょう。又、年が変わって行くのでしょう。
私達のほとんどは眠りに入って行くにしても年が新しく変わろうとする時も、
悩み事、又希望の光を抱えているのですが。
ザ・OSHOより!
文明が発展し、世の中は便利になった。皆が中流階級以上に思っている人々も多くなった!
しかし、はたしてそうだろうか?
我がチューが思うには、今の世はあまりにも苦しみもがいている様に思えて仕方がない。
それは今人類の意義の歴史上初めて人間は存在の行路を見失ってしまった。
未だかつて私達ほど苦しみに見舞われた人間はいないかも知れないチューチュ!
過去において人々は終始貧しかった・・・実に貧しかった。
人々はずっとひもじい思いをしてきた。
だが精神的にはこれほど貧しいことは決してなかった。
今日ほど人類が精神的な飢餓感を覚えたことはない。
うんぬん言うつもりはなく人類が再び存在に根ざさぬ限り、今の人類に未来はない!
信仰も遠い昔とは変わって来た。
一つ例をとなえると、我がチューが見るに、人々が祈る場所に通うのは、新の祈りと愛ゆえにではなく、
ただ己の特異な願望ただ心の底にある義務的祈り、又恐れゆえに祈るのかもしれない。
年をとればとるほど、より足しげく神社仏閣へ通う様になるのも一層何かを恐れる様になるからでもある。
とも言う。この上なく価値あるものを知り得た人々の祈りは、このての祈りより大きく異なるとチューは思う。
自分本位の祈り、上手くいかない事への祈り、本格的に祈りにならない祈り、
己への恐れから神仏に伺うことなく人間そのものの感受性を得て全ての体験を通して
心から神仏の元へ行ける様、日々祈り続ければ途方もなく人類は素晴らしいものとなるだろう。
人生はとてつもない挑戦でもある。その生きたエネルギーは結晶化され本物の神仏と勇気と手を結ぶことだ。
自分をどんどん突き進ませるほどの勇気と、それはあたかも地図無しで対岸の事などあずかり知らずに
小舟で荒れ狂う海へと漕ぎ出して行く様に!コロンブスの様に・・・
ただただ地球は丸いという仮設だけを頼りにいずれの地にたどり着くという
希望という宝を抱きつつコロンブスの様にあるべきである。
サァー朝がくる。新年が来たでチュー
いよいよみんなの出番だ。時が来た。
素晴らしい日々を祈りこの年を輝けるものにしよう。
我がチューもやります。
勾玉鼠小僧拝
ザ・OSHOより。