神々のつぶやきNO.15 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

我が輩は猫であります。
ですが、以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。西洋であった話だが…

幻滅の門

一人の男がある神社の門をくぐり、静かに柏手を打ちつぶやいた。
30年も精進し祈ってきたが未だ神を理解するに至らないと言った。
耳元で何かが反応した。
(百年かけてもダメだろう)とのことだった。
男はなぜかと言った。
(おまえの自己中心がお前自身と真理のあいだの障害物になっているからだ…)と

初めの初めからこの男は間違った姿勢をしていると…
この男はひょっとすると非常に計算高い、ずる賢い?人間だったかも!
そうでなければ神への祈りの瞬間をどうして数えていられよう?
どうしてこんなことが言えるのだろう、(私は30年も祈ってきた)と。

この計算が示しているのはビジネス的だ。
30年だって? よく数えていたものだ…と。

又、このようなことを言う人もいた!
私はこれこれ何日のあいだ断食した。
何回祈った。それなのに何も起こらないなんて?!

実のところ、もし祈りとは何かを知っていたら、結果などどうでもいいはずだ。
祈りそのものが、それだけで充分だ!
祈りは幸福! 祈りは喜びだ!
祈ること自体ですでに充たされる。
他には何もいらない!

ところが、この男は祈っていない時には祈りの結果を待ち焦がれる。
そうなったら祈りは目的のための手段にはなりえない!
祈りは決して目的のための手段にはなりえない!

あぁ~あぁ~、いろいろあるニャー
まあ、神社でも行くべか!

勾玉小僧拝

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