うさぎ丸が聞いた見たいずれも先達からのお話を伝えよう。
“OSHOからの伝言!ブッダの本質は気づき?”
世界宗教の奥義と困惑? その①
ブッダは希望を捨てなさい、欲望を捨てなさい、と言う。
希望を捨てることで、欲望を捨てることで、あなたは今ここにいる。
欲望がなければあなたは満たされる。あなたを欺いているもの、それが欲望だ。
だからブッダがこれらのいわゆる宗教的な人々はみんな物質主義者であると言った時、当然ヒンドゥー教徒たちは非常に怒ったーー激怒した。
彼らは誰に対してもこれまでそれほど怒ったことはなかった。彼らはインドからブッダの宗教を根絶しようとし、成功した。
仏教はインドで生まれたが、仏教はインドには存在しない。それはヒンドゥー教徒の宗教が世界で最も物質的な宗教の1つだからだ。
すべての祈りや、すべての礼拝は天から、または神からより多くを、もっと多くを求めている。すべての犠牲はより多くのためにある。すべての礼拝は欲望指向だ。
「もっと与えてください!たくさん与えてください!より良い収穫物、より良い雨、より多くのお金、より以上の健康、より以上の生、より長い寿命をーーもっと与えてください!」と祈り続けるだけではない。彼らは「私たちの敵に与えてはいけない!私の牛にもっと多くのミルクを与えてください。しかし敵の牛は死なせてください。またそのミルクを消してください!」とも祈る。
これはどういうタイプの宗教だろう?それを宗教と呼ぶことさえ馬鹿げて見える。もしこれが宗教なら、物質主義とは何だろう?そしていわゆる世界を放棄した禁欲的な人々でさえ・・・ブッダの時代にはそんな人たちが多くいた。
彼自身、探求していた間に多くのマスターたちのところへ行ったが、どこからでも彼は手ぶらで戻って来た。本当に欲望の本質を理解している人を見つけられなかったからだ。彼ら自身が求めていた。
もちろん、彼らの欲望は遠い未来に、来世に投影されていたが、それでも欲望の対象は同じで、希望するマインドは同じだった。
それはただ時間の問題に過ぎない。
少数の人々は死ぬ前に望み、少数の人々は死んだ後に望むが、その違いは何だろう?
それは何の違いにもならない。彼らは同じものを望んでいるーー彼らは望んでいる!
欲望は同じだ。
つづく。
あっ!本日!7月1日はうさぎ丸君の誕生日ではないか!!
今年で690才になったようだ!
お目出とう!
我が輩はウサギ丸!