神々のつぶやき NO.22  いずれも先達から聞き及んだ話だが…

我が輩は猫であります。
ですが、以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。

【大井戸捜査網!事故中心的捜査隊物語】 その②

実は井戸へ落ちた男はもうぐったりしてこんな事を考えていたと言う。
「ああ~もう助かる見込みはない。あんなに信仰の深い人達が来たっていうのに・・・」トホホ

しかし、そんな思いとは別に我等のミスター宣教師は素早くロープとバケツを投げ下ろし、
「引っ張り上げるからつかまりなさい」と大きな声で言った!
正に一瞬だった。
男は助けられて感謝の念を表しようもなく、ただただ宣教師の足元にひれ伏した。
「あなた様だけが唯一の信仰深いお方です!」
ビョ~ン ビョ~ン!

すると宣教師は言った。
「誤解してもらっては困る。これは主様が言ったこと。つまり最後の一人にまでも奉仕しない限り
<神の国>に至ることはできないと言うことなんだ。
奉仕はサダナ(sadhana)修行だ。
奉仕を通してはじめて人は天国に到達する。
だからよく覚えておいておくれ。
何回でも井戸に落ちるんだ。宣教師は私だけじゃないんでね!
子供達にも井戸に落ちるように教えなさい。そうすれば私達がかけつけて助けられる。
あなた達が井戸に落ちなかったらどうやって私達が天国に至れると思う?」

助けられた男は目がくらみ、軽い脳震盪がおきた様だ!???

もし本当にこの様な考えを持った宗教者がいたら一体祈りとか念じるとか敬うとか、
この偉大な言葉や文言はどうなるのか?
井戸へ落ちた男もそんな考えが頭の中に浮かんで来た。

もし、いわゆる宗教善人?と言われる方々の手につかまったら逃げるのはとても難しい。
投獄されたも同じかもしれない!

そういう人はすべてを「あなたのため」にやる。
しかし、何をやろうとも、あなたという他者を通して天国への道を見つけようとしている
とも思われてしまう。
単なる宗教的手段だ!
恐らく人間社会ではもっとも非道徳な行為かも知れないニャー
人間を1つの手段として扱うなんとことは最大の罪だと思うニャー
我が輩はネコニャンでよかった!

分かち合えるものなら分かち合いなさい。
だがどんな人間であろうとも、他者を変えようとしてはならない。
変えようなんて、いったいあなたは何様かね?
誰かを変えさせようなんていったい何様のつもりだね?
誰がそんな権利を与えたのかね?
もしできるのなら助けるがいいさ。だがその助けを手段にしてはならないね。
そうしてしまったら、たとえあなたが宗教の世界にいたとしても、
同じ様に計算高いずる賢い人としてとどまり、他者を搾取することになる。
ギャーギャーギャー!大変だよ。

この様な事が自己中心、事故中心的なことなのかニャー。
私しゃーネコでよかったかね?
又つかれて来た。
神社でも行くべかさ!

勾玉小僧拝

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