「辰まる君のつぶやき」No.6 辰まるが聞いた見た先達からの話しを伝えよう。

第六話 魂はこの世にいる

さて、招魂再生といって魂を呼ぶが、それではなぜ魂を呼ぶと帰ってくるのであろうか。
それは中国人の世界を見る見方に関係している。
中国人は現実的に足でふみしめる大地の存在を認める。そして天を半円形のドームの様に見た。この円形としての天と直線としての地とで囲まれた線の中、すなわち天下、地上の限られた空間のみを中国人は信じたのである。
中国人には無限の空間という感覚はない。だから天下、地上以外のその他のところ、例えばキリスト教の言う天国、地獄も、仏教が言う極楽、地獄も、中国人にとっては存在しない。
無関係な世界でしか無かった。だから魂はどんなに上へあがっても、天空ドーム線のところでストップするのであり、その線を超えて外に出ることはない。すなわち天国や極楽へは行かない。つまり魂も魄(はく)も天外、地外へ行くことはないのであって、生きている人間や万物と同じく<この世>の中にいるのである。
だからこそ呼べば<この世>に帰ってくることができるのである。
魂も魄も<あの世>ではなくこの世にいる。草葉の陰にいるのである。

神主と墓へ
死者の魂、魄をその命日の日に招き寄せるとき、寄りつくべき場所が必要である。その為に前述したように儒教は神主を作った。
こうして寄りついた魂、魄はその儀式が終わると神主から離れて元の場所へ帰る。
魂は天上へ、魄は地下へと。天上は広く、魂はそのまま浮遊しているが、魄は管理場所である墓へ帰る。
そして残った神主は宗廟へ、あるいは祠堂である住居内の祠壇へ移し、安置する。
これが儒教の祖先祭祀の大筋である。

死の恐怖は逃れる事は出来ない。そこで各地域、民族にあった死後の説明をさまざまな宗教が行った。
それが仏教の輪廻転生であり、道教であれば不老長寿であり、儒教の招魂再生である。
儒教は招魂再生を説いた。いうなれば慰霊である。
我々はこの慰霊をおこなうことによって心が落ち着く。
慰霊が招魂再生の第一目的である。死を前にして恐怖に怯える人に対して、<心配はない、必ずあなたを忘れることなく呼び戻します>という招魂再生の約束が在るとき、死は恐いが死後の安心が生まれる。
この招魂再生は<亡き人の思い出を語るという>ことである。

づづく
次回は<では誰れが呼び戻し、又自分を思い出してくれるのか!!>
辰まる君でした‼

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