「辰まる君のつぶやき」No.10 辰まるが聞いた見た先達からの話しを伝えよう。

<最後に>
新年早々から始まりました「お墓のはなし」儒教のお祀りは今回をもって最終回となりました。
10ヶ月少し難しい話でもありましたが、勉強にはなりました。
いわゆる宗教とは、生きるとは、死とは!を考えます。
この10ヶ月、以上が儒教における先祖祭祀観を簡単に、昔頂いた資料を元に述べたものです。
もちろん、これで儒教という思想、教義のすべてを説明できたわけではありません。その他、冠婚葬祭につきましても細部にわたりその儀礼が取り決められています。広い(教)です。
ここでは、ほぼお墓のお話でした。それと先祖供養とは人間の魂と骨の行く末は・・・等々申し上げましたが、一言言わせてもらえればお墓の建立の場所は遠くに置くよりも近くに置く方が何かと宜しいと言えます。
なぜか・・・それは現在の自分達の生活圏内にご先祖様の魂魄をお迎えすることが必要だからです。
遠く離れた場所に立派なお墓を造営されましても、年に一度か二度墓参りできるかできないかではあまり建立された意味がありません。(特別な事情の場合は別)
それこそ親戚隣人に対しては面子は保てますが、本来のご先祖様に対しての「孝」にはならないと思います。お墓というものがご先祖様の御霊(みたま)がご降臨賜る「かたしろ」であると考えれば、招魂再生をしていただく場所が遠く離れてはその徳も伝わらないのではないでしょうか。
墓はなるべく自分の生活圏から半日か丸一日程度で墓参りの儀式がおごそかに行われる場所が宜しいでしょう。
もちろん宗教、ご自分の価値観等々、様々です。
日々の世界、生活の中で仏壇、神棚が有り、手を合わせ、年に幾度か墓参りに出かける事が人間らしい一面かも知れません。
この10回の連載中に清々しい文書と宗教観が出ている記事(新聞)を見つけました。
最後に皆さんにも読んで頂きたく思います。

・朝日新聞 男のひととき より
家族そろって読経
7年前の母の初盆以来、お盆の時期にはお寺のお坊さんに家まで来てもらい、お経をあげてもらっていた。でも、2年ぐらい前から、週末の朝は自分でも読経本を片手にお経を読むようになった。今年は思い切って、お盆のお経をお寺のお坊さんに依頼せずに、自分で読んでみることにした。
 お盆の4日間は毎朝読経し、特に、迎え盆、送り盆の日の夕方には、仏前に同席の妻、長女、弟夫婦や長男夫婦にも読経本のコピーを渡し、私に続いてお経を唱えてもらった。お経はただ聞いているだけだと退屈するが、自ら読むと少し意味の感じ取れるのか、みんな案外恥ずかしがらずに、しっかりした声で唱えていた。
 お坊さんのように上手には読めないし、暗記もしていないので片手に読経本を持ちながらのお経ではあるけれど、親族が声をそろえて唱えるという手作り感と温かみのあるお盆で、鬼籍の父母の遺影も夭折(ようせつ)の姉も「そう、家族が仲良くそろってお経をあげてくれるこういうお盆はうれしいよ」と喜んでいるような気がした。
 ほんの少しの勇気で今後のお盆の最善のあり方を発見したようで、すごくうれしく供養のできたお盆を送ることができた。

・朝日新聞 折々のことば より
 正気であることは、狂気であることよりもはるかにドラマティックなものである。
 G・K・チェスタトン

 宗教において「正統」であることの厳しさ。時代の先端を行くのでも時流に媚びるのでもなく、異端者にもならずに、荒れ狂う馬を御すかのように己の節を守るには、途方もない努力が要ったと、英国の作家は言う。平穏な日常もまた、凄まじい葛藤とその修復の連続の上に成り立つものなのだろう。

2025(令和7)年1月より、1977(昭和52)年から出発した「魂の方舟」 心のひろばの大冒険物語(Region of mind communication)がスタートします。
それは!天から発声された一言から始まった。
「お前は死ね!」

辰まる君でした‼

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