一人の男が、ある人に会いに行った際のお話です。
ある人というのは大変な金持ちで、あちこちの施設や福祉計画、寺院などに寄付をしてきた人でした。客人に対して自分の寄付について話しはじめたようです。
どのくらい、どこへ寄付したかを話すことで自己紹介をしたわけです。その場には夫人も同席しており、話の足りない部分を補いました。
夫人はいいました。
「この人は10億円ほど、そこには寄付したんですのよ」と。
すると彼女の主人はいささか怒気を含んだ眼で彼女を見て、訂正しました。
「10億円ではなく、11億円だ」と・・・。
自分が与えたものを数える。帳簿をつける。貸したものではなく与えたものなのに、いつも計算している。
帳簿をつけたら、何も与えないのと同じです。それは分かち合いではありません。それは贈り物ではなかったのです。
数えるのだったら、それは取引―もう1つの世界のためにする取引である―だったのです。
さらに、愚かなる発言をその人はしました。
「これほど与えたのに、まだ神を会得するに遠いな・・・」と。
勾玉小僧