神々のつぶやき NO.19  いずれも先達から聞き及んだ話だが…

我が輩は猫であります。
ですが、以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。

祈りの根元? その①

たとえ百回生まれかわったとしてもダメだろうね。
これは時間の問題ではない。もしまちがったことをしていたら、
永遠にやり続けることだってありうる。時間の問題ではない。

まちがったことをやり始めて、それをやり続けることはできないことではない。
が、まちがったことを、たとえ百万回くり返したところで正しくなりはしない。
一回であっても正しいことをやれば、あらゆることが落ちつく。

祈りは、姿勢と質の問題かもしれない。
どのくらい多く祈るかではなく、どのくらい深く祈るかだ。
一日に何回祈るかは問題ではない。

ベンガル地方にこんな話が伝わっていると聞いた。
ずいぶん昔の話だが、一人のそれは論理的な男がいた。
文法学者で名はOHSOといい、サンスクリット学者として名が高かった。
彼は寺院に行ったことがなかった。年を取って60歳になった頃、
父親が彼を呼んで言うには、「もう、いい加減にしたらどうだ」。
90歳近いという父親は、こう続ける。
「私は毎日お寺に行って祈ってきたが、お前には一度として『行け』と言ったことはない。
それと言うのも、いつかお前自身が分かるようになると思っていたからだ。
ところが、もう時間がなくなりつつある。お前も年を取って、もう60歳じゃないか。
寺に行く時が来ている。彼岸に渡るための用意をする時なんだ。
いつになったらお祈りに行くんだね?」

OHSOは言った。
「お父さん、毎日毎日お寺へ通っても同じままで戻って来るあなたを見て、
私はずっと問題は何回祈るか、何年祈るかではないんじゃないかと考えていました。
大事なことは、いかに祈るかということにあるようです。質の問題なんですよ。
長い年月、毎日二回お寺に行っても、まったく同じままで戻ってくる…。
そんなあなたを見ていてそう思うんです。あなたのお祈りは、ききめがないようですね。
どうしてなんでしょう? どこかまちがっているにちがいありません」

「私は明日行きます。明日は私の誕生日。私は明日行って、私にできるかぎりのことをやります。
私の存在のすべてを注ぐつもりです。一度だけ私も祈りましょう。
だが一度だけですよ。もし何か起こるのだったら起こるがいい。
もし何も起こらなかったらそれで終わりだ。私は二度とお寺になんか行きません。
なぜって無益でしょうが。何の意味もないでしょうが。
もし私が、自分自身のすべてを投入して何も残さず祈りに賭けたら、
それ以上のことは次の日にはできませんからね。
もしできるかぎりのことを心身こめてやったら、それ以上のことは不可能なんです。
一度だけ私も祈りましょう。もし何かが起こったら起こるまでだ。
何も起こらなかったら私はやめます。二度と再び祈ろうとはしないでしょう」

父親は笑った。
「お前はバカだ。人間は何年も何年も祈らなくちゃならない。
そうしてはじめて何かが起こるんだ。だがまあいい。見てみよう。明日行ってやってみるがいいさ」

OHSOは翌日、寺に行った。

一体何が起こったかニャー
続くニャー

勾玉小僧拝

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