我が輩は鼠であります。
ですが、以前は人間もしておりました!
我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた話をするチュー。
【何んとなく今回はスゴイメッセージでチュー!】
今回のメッセージの本質は、恐怖から生きてはならないという事である!
罰せられる事などありえないのだから大胆に生きる事だ!と言う。
恐怖は知らぬ間に忍び寄ってきてはあなたが開放的になっていくのを阻もうとする。
たった一つの事をやるにも!
それは正しいのだろうか、間違っているのだろうか!
道徳的だろうか?非道徳的だろうか?
宗教に即しているだろうか?いないだろうか?それに反対しているだろうか・・・?
そして熟考すればするほど、あなたは益々混乱していくだろう。
いったん物事に罪を与える方向へと向かい始めたら、
元気に生きて行くことなどできず、ただダラダラと足を引きずって歩くだろう!
私のアプローチは全く違っている。
間違いがあってもそこにはどんな罪もない!
ただ一つのことを覚えておいて欲しい。
それは、同じ間違いを何度も何度も起こさないということである。
一回、又もう一回位は間違いがあったり犯すこともあるだろうが・・・
しかし何度もではどうみてもそれは愚かしいです!!!
人間は生きるを探求していくべきでも有る。
そして探求していると、時には道を迷うこともあるが、
道に迷うことをあまり恐れていては探求など不可能でもある。
そうなると生きるという冒険全てが打ち砕かれ破壊され葬られる。
そしてそれこそ、いわゆるいい加減な宗教的な人間が行ってきた事かも知れない。
その者たちは古代から伝わる神社、仏閣のメッセージから離れ、
少しずつ違和感、異次元的、間違ったメッセージを20世紀に与えてしまった様だ。
今、本来の人間の根本に宿るメッセージは、生きる喜びと味わいを与える事に
冒険する大勇気、大胆に進み、生のもたらしてくれるあらゆる可能性を
切り開いていく勇気を与える事に、あなたが恐れる事なく成長し、
オープンにそして感じやすくなるようにすることにかかっていると思います。
神が仏が私たちの裁判長だろうと恐れる事はない!
いずれ最後の審判の日がやってきて神、仏に出会ったならこう言ってください!
「はい、私は飲んだくれていました・・・
又人に言えない事も少々はしてしまいました・・・どうかお許し下さい」と。
全ての神、仏は理解してくれます。
心配御無用! 悪さは反省し、善はくり返し、人は生きる!
神、仏はお見通しです。大丈夫!
ああ~サッパリ?した。
サァー古代の神社でも行くべかチュー!
勾玉鼠小僧拝