神々のつぶやき No.60 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

OSHOが語る!
<とても怖い話から変な話へ>その2

そして、ヨーガという名目であらゆる種類の身体の歪曲をやりなさい・・・それもすでに地獄の一分野だ。
違いはここではあなたが自分でするのに対して、地獄では悪魔がしてくれる。
あなたをねじ曲げ、誰かが足をひっぱり、誰かがあなたの首を引き伸ばす・・・

私マガ寅は首を引き伸ばされたことがあるので、それがどういうことなのかよく知っている。
ただ彼らを止めさせるためにもうすっかりよくなった、と言わなければならない。
さもなければ、もし彼らが引き伸ばし続けることにでもなればすぐに頭が身体からとれてしまうだろう!
あなたは苦しんでいても治ったと言わなければならない。彼らは我が輩の身体を牽引機の上に乗せた。

牽引機は中世にはキリスト教の宣教師とキリスト教の教会によって魔女だと宣言された
哀れな女性たちに対して初めて使用された。最終的にその牽引の方法は・・・実に恐ろしい〜。

偶然背中を悪くして苦しんでいたある人の身体が伸ばされたことがある。
三十年間、彼女は背中を悪くして苦しんでいた。すると突然背中が元通りになり、苦痛がなくなった。
それは信じられないことだった。牽引機は教会から病院に移された。

ことに私の非常に愛すべき医師の一人であるドクターキンがいる。
彼は我が輩に働きかけた。
ドクターキンはいい人だったが、彼がやることといったら・・・
身体全体が引っ張られる。足が一方に引っ張られ、頭は逆の方向に引っ張られる。
すぐにあなたはその中間のどこかでバラバラになってしまうと感じ始める。
だからこそ我が輩は地獄に非常に原始的な牽引機があるのは絶対に確実だと言うのだ。
しかも地獄で死ぬことはない。

私の感じでは自分は治ったという人々は本当に治っていない。それは我が輩自身の経験だ。
そう言わなければ彼らはもっと引っ張る用意がある。死ぬかそれとも治ったと言うのかどちらかだ。
他に選択の余地はない。宗教は恐怖を食べて生きてきた。
そして断食のような修行をつくりだしてきて、ありとあらゆる方法で自分自身を苦しめる。
あなたが苦しめば苦しむほどあなたに満足する何かがある。

これは奇妙な議論である。私にはこのことと神が愛でありーーどういう種類の愛なのか?
―――神は慈悲だという思想との間にどんな関連性も見いだすことはできない。
何百万もの人たちがこのような議論と自分自身を苦しめてきた。
それなのに彼らの誰一人としてこれまでどんな至福の実現にも到達した者はいない。
達成した人々というのはまた違った種類の人々だ。

彼らは神が目標だとは言わない。神はあなたの本性だ!ただ自然でありなさい。
そうすれば沈黙の内に足音も立てることなく自己の内なるブッダが目を覚ます!
神仏性の真の意義を理解しようと欲するなら、それは今生きているこの瞬間に現前していることを
正しく理解すべきである。
「ブッダ」はブッドゥと言い(気づき出来た者)を指す。
地獄極楽この二重の気づきーー気付くことーーは人間の尊厳!
それは人間の宝(天国)だ!そうだ!!気づき行こう!!

ああ難しい物語だったなぁ~
暑いのによけい暑くなり!熱地獄へ行きそうだなぁ~
涼しい神社でも行くべか!
失礼しました。

我が輩はマガ寅!

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