伊勢神宮(神宮)は、日本において最も神聖な場所の一つといえます。 その荘厳さと神秘性は、古代から現代に至るまで多くの人々を魅了してやみません。 日本の歴史と共に歩んできた神宮は、私たち日本人の「心の拠り所」「精神の故郷」と呼ぶにふさわしい存在です。
私は日々、弁護士として法律に関わるなかで、社会におけるさまざまな争いや対立に直面します。そこでは、権利や義務、勝訴と敗訴といった厳しい二項対立が常に生じています。そうした日常から少し距離を置き、自分自身のあり方や本当の自我を見つめ直すことができる場所――それが、私にとっての伊勢神宮です。
現代社会に生きる私たちは「法の下」に暮らしています。 法律は国家による強制力を背景とした社会規範であり、秩序の維持や自由な活動の保障、そして紛争の解決を目的とする最低限のルールです。もし特定の人物や団体が法律の適用を免れるようなことがあれば、それは法の下の平等を脅かす重大な問題になりかねません。
近年、「法律さえ守れば何をしても良い」という意見も耳にします。 しかし法律を守ることは、当然の前提であり、決して誇るべき美徳とは言えません。むしろ大切なのは、法律を超えて人としてどうあるべきか ―― 倫理や道徳の観点で自らを律する姿勢だと思います。
私がいつも自分に問いかけているのは、「その行いはお天道様に恥ずかしくないか」ということです。伊勢の内宮(皇大神宮)には、天照大御神、すなわち太陽神が祀られています。 神宮はまさに「お天道様と向き合う場所」といえるでしょう。そこで法律ではなく、人としてのあり方や心を見つめ、自分を振り返る ―― 神宮は、そのような場であると私は感じています。
あくまで私個人の印象ですが、神宮の神域で犯罪や法的なトラブルが起きたという話をほとんど聞いたことがありません。それは、神宮を訪れる皆さんが意識的か無意識的かを問わず、「清らかな空気」に触れ、自らの心を正し、厳かな気持ちで神域に足を踏み入れているからではないかと思います。
神宮は法治国家の枠組みのなかにあって、法律だけでは語りきれない「心」の領域に存在しています。法律が社会にルールと秩序をもたらすものだとすれば、神宮は私たちに「敬意」や「謙虚さ」を教える存在です。それは社会全体を支える「倫理的基盤」であり、私たち法律家にとっても極めて重要な価値です。だからこそ私は、定期的に神宮を訪れ、「法律とは何か」「人を律する力とは何か」を静かに、そして深く見つめ直す時間を大切にしています。
理事 宇田 幸生