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神々のつぶやきNO.16 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2018/12/01

我が輩は猫であります。
ですが、以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
西洋であった話だが…

転換の狭間?

「その人は助けてもらうことができないのだ。助けてもなんの役にも立たない。
なぜなら、その人は自分の内部に援助や助けを失敗に終わらせるような何かを持っているのだから…
ガチャ―ン!」

我が輩は、その人にある実験をすることにした。我が輩は、知人の男に黄金・札束を
イヤと言う程イッパイに詰めた袋を橋の真ん中へ置いておくように命じた。
そして、我が輩のもう一人の知人の男には、誰か借金、負債があって首が廻らず
不幸になっている人を橋のたもとに呼んで橋を渡ってもらえるように頼めと命じた。

そして、その人に橋を渡らせた。橋のたもとにいた我が輩は、渡って来たその人にたずねた。
「橋の真ん中あたりで何か見かけたかね?」先に話したように、そこにはギッシリと入れた黄金、札束の袋が
置かれてあった。橋の上には誰一人いない。その人はたしかに橋を渡った。その袋が見えたはずだった。
その袋を拾うことも出来たはずだった。それは自分のものだと言う人は誰もいなかったのだから。

しかし、その人はその袋を一目みることさえしなかった。「橋の真ん中あたりで何か見かけたかね?」
また聞いてみた。「いや、何にも」と言う。

(そりゃ~又、どうしたわけだべさ!!)と聞いてみた。その人は、こう答えた。
「橋を渡り始めるや否や、ある考えを思いついたんです。ひとつ眼をつぶって渡ってみたら面白かろうってね。
それで私はそらしたんですよ…???」

こういう思いつきは人は起こる。誰でも起こりえる出来事でもある。
何かがすぐにも起こりうるような時点に近づくと急に何らかを思いつく人達が多くいる。
それも時にはあまりにも下らない考えでそんな事を思いつくなんてとても信じられないくらいの代物もある!

しかし、一度考えつくとこの人らは、たちまち通路(ルート)を変える。気を、機を変えてしまうのである。
そこで、今にも起ころうとしていた事にもストップがかかる。

橋を渡ったその人は、貧しい上に借金をかかえて苦しんでいたのだから、
この袋に入ったものがあったら充分過ぎるほど助かったことだろう。ところが、不意に…

その人は今までにも数えきれない程この橋を渡ってきているのに、一度だってこんな考えを起こしたことはなかったのに。
ところが、この日にかぎり今日にかぎり不意に眼をつぶって渡ったら面白いだろうなという考えが頭に浮かんだのだ!
ああああ~

みんなには言わないが眼を閉じて道を歩いた人もいるだろう。
ある朝の散歩。誰もいないところでそんな考えを思いつく人もいるだろう。
もし、そんな考えをふいに思いついたら周りを見まわしてみることだね!何か!
黄金の袋のようなものが、あなたを持っているかもしれないよ!

あれこれ教訓に来年は生きるべさ!
又、来年神社で会おうニャー
良きお年を!
バ~イ

                                                 勾玉小僧拝

                                                 

神々のつぶやきNO.15 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2018/11/01

我が輩は猫であります。
ですが、以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。西洋であった話だが…

幻滅の門

一人の男がある神社の門をくぐり、静かに柏手を打ちつぶやいた。
30年も精進し祈ってきたが未だ神を理解するに至らないと言った。
耳元で何かが反応した。
(百年かけてもダメだろう)とのことだった。
男はなぜかと言った。
(おまえの自己中心がお前自身と真理のあいだの障害物になっているからだ…)と
 
初めの初めからこの男は間違った姿勢をしていると…
この男はひょっとすると非常に計算高い、ずる賢い?人間だったかも!
そうでなければ神への祈りの瞬間をどうして数えていられよう?
どうしてこんなことが言えるのだろう、(私は30年も祈ってきた)と。

この計算が示しているのはビジネス的だ。
30年だって? よく数えていたものだ…と。

又、このようなことを言う人もいた!
私はこれこれ何日のあいだ断食した。
何回祈った。それなのに何も起こらないなんて?!

実のところ、もし祈りとは何かを知っていたら、結果などどうでもいいはずだ。
祈りそのものが、それだけで充分だ!
祈りは幸福! 祈りは喜びだ!
祈ること自体ですでに充たされる。
他には何もいらない!

ところが、この男は祈っていない時には祈りの結果を待ち焦がれる。
そうなったら祈りは目的のための手段にはなりえない!
祈りは決して目的のための手段にはなりえない!


あぁ~あぁ~、いろいろあるニャー
まあ、神社でも行くべか!

                                                勾玉小僧拝
  

神々のつぶやきNO.14 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2018/10/01

我が輩は猫であります。
ですが以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
西洋であった話だが…

裁くなかれ成り【後編】
何事も我が輩が人間だった頃出会った話だがニャー。

【前回より続く】
老人には若い息子がいた。一人息子だ。
この若者が野生の馬を馴らしはじめたのだが1週間ほどたった頃、彼は馬から落ちて両足を折ってしまった。
村人達はまたまた集まって来て…人々というのはどこでも同じだ。どこにでもいる! またまたお裁きだ。

彼らが言うには「あんたは正しかった。あんたの言ったことがまた正しいことが証明されたね。
やっぱりお恵みじゃなかった。災難だったんだよ。一人息子の両足を駄目にしちゃったんだもの。
あんたの歳になったらあの子は唯一の支えだっただろうに。前よりひどい貧乏暮しになってしまう」

老人は言った。「あんたがたは裁くことにとりつかれている。そんなに行き過ぎなさんな。
ただ私の息子が足を折ったとだけ言えばいいじゃないか。これが災難か恵みか誰にわかるね? 
誰にもわからない! これもまた一断片だ!」

こんな事があってから数週間経った頃、隣国との間に戦争が始まった。村や町の若者達はみな強制的に徴兵されていった。
ただ一人、あの老人の息子だけは足が不自由なために徴兵をまぬがれた。どの家からも若者達が強引に連れ出されていく。
人々は身を寄せ合って泣きくれていた。村中の人々は泣き叫び悲嘆にくれながら老人に言った。
「あんたは正しかったよ。爺さん、神様は知ってなさったね! あんたは正しかった。
あれがお恵みだったことが証明されたじゃないか。あんたの息子はあんたと一緒にいられるんだもの」

老人は言った。「あんたがたとはもう話ができないよ。あんたがたときたら次か ら次へととめどなく裁きつづけてきりがない。
先は誰にもわからないんだ! 言うのならこれだけ言えばいいさ。
強制的に軍隊に入らされた! そして私の息子は強制されなかったとだけね」

何が恵みか災いかは誰にもわからない。誰もそれを知ることのできる人はいない。
(神のみぞ知るのさ)

裁くなかれ!
そう。
この人は素晴らしい⁉
あの人はダメだ!?
この人は光明を得ているか!?
あの人は光明を得ていない!?
ひとたび裁いたら、何事も成長は止まるとニャー!
神は裁かず! 人は裁く! とさ。
さあ、神社でも行くか!

                                                勾玉小僧拝
                                                      

神々のつぶやきNO.13 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2018/09/01

我が輩は猫であります。
ですが以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
西洋であった話だが…

裁くなかれ成り
何事も我が輩が人間だった頃出会った話だがニャー。

          ある村にひとりの老人が住んでいた。ひどく貧乏していたが、ただ、王様や金持ちがうらやむような
          美しい白馬を一頭もっていた。それは今まで見たことがないような見事な馬だった。王様はもちろん、
          お金持ちの人々がその馬を欲しがって途方もない代価を払おうとした。しかし老人は決まってこう言った。
          「この馬は私にとっては馬じゃありません。これは人なんです。人をどうして売れましょう。
          これは私の友達なんだ。所有物じゃないんです。売るなんてことはできない」
          貧しい老人にとって大金は大きな誘惑だったが。

          ある朝のこと、白馬が厩からいなくなっていた。村中の人達が集まってきて言うには、
          「じいさん、あんたばかだったよ。私達は前からわかっていたんだ。いつかあの馬が盗まれるだろうってね」
          だから言っただろう、売っておいた方がずっとよかったんだよ。
          すると老人は言った。「先に行き過ぎなさんな。厩から馬がいなくなったとだけ言えばいいじゃないか」
          それが事実だろう。ほかの事は判断評価だ!これが災難かどうかあんたがどうして分かる?どうやって裁くのかね?

          村人達は笑った。宝を失くしちまったことは事実だ、災難だったこともね、と。また、この年寄りは少し狂っていると。
          さもなければとっくにあの馬を売って豊かな暮しをしていただろう。ところが樵(きこり)のような生活だ。
          とても年を取っているのに、まだ木を切って森から運びだし、それを売って暮しているんだから。
          みじめで貧しいその日暮し。今ではもう、この老人が狂っていることは疑い様がなかった。

          それから15日たったある日、突然その馬は戻ってきた。
          馬は盗まれたのではなかった。ただ逃げ出して野生の生活をしていただけだった。
          それに、ただ戻ってきただけではない。
          12頭の野生の馬、それも誰が見ても素晴らしい馬を連れて戻っていた。
          ふたたび人々は集まってきて言った。
          「じいさん、あんたは正しかった。私達がまちがっていたんだ。災難じゃなかったね。
          これはお恵みだったんだね。強く言い張ったりしてすまないことをした」

          すると老人は言った。
          「またまた行き過ぎだよ。ただ馬が帰ったと言うだけでいい。12頭の馬があの馬と一緒に来たと言うだけでいい。
          裁きなさんな。これがお恵みかどうか、いったい誰にわかるのかね?
          物事は全体の事情がわかるまではどう判断することもできまい?」

          本を1ページ読むだけで本全体をどう判断できるかね?
          一話のうち一行を読むだけでいったいその一話をどう判断できる?
          これを恵みなどと言いなさんな! 誰にも分からないことだよ!
          そして老人は言った。自分は(判断せず評価せず)で大いに幸せなんだ。邪魔しないでおくれ!と。
          今回は、人々は何も言うことができなかった。もしかしたらまたこの老人の言う通りかもしれないからだ。

          そこで人々は黙って一言も言わないでいたが、心の内では老人がまちがっているのだとよくわかっていた。
          老人の馬と、ともに来た12頭の美しい馬、ちょっと馴らせばこの馬達だって全部売れる。
          そうなりゃ大金がころがりこんでこようものを!!! さあどうなる!
          この老人には若い息子が一人いた…続く。

                                           次回をお楽しみニャー

                                                  勾玉小僧拝  
                                                  

神々のつぶやきNO.12 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2018/08/01

我が輩は猫であります。
ですが以前は人間もしておりました!

人間時代に聞き及んだ、又、体験した話を今回から何回か、
人間的バージョンでお話しします。宜しくニャー。

《こんな話もありました。無知な人々には二種類のタイプがあるとのことです。
最初のタイプは自分自身が無知だということを知らないタイプ…
この人達は自分が知っていると自動的に考える。
これは“知る”ということへの無知ということ

別のタイプの人々は、自分が無知であるということに気づいている人々である。
これは無知というらしい。
自分の無知に気づくようになった時、知ることの始まりに到達する。
自分は知っていると思っている人々は宗教的にはなれないと言います。
自分は知っていると考える人達は非宗教的にならざるをえないとも言います。
というのも知識でいっぱいになった自我(エゴ)はとても巧妙だからと言っています。
しかし、自分が無知であることを知った瞬間、自我(エゴ)は消えると言います。

自我(エゴ)を打ち負かすための最大の攻撃は、自分の無知に気づくことであり、
又、自我(エゴ)をもっとも強固にする最適な方法は、知識を強く求めることである。》

こんなこと言っている人が私の人間時代にいたニャー!
来月も人間バージョンで。

あぁ~ 神社へ行こう。


                              勾玉小僧拝
                                              

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