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神々のつぶやき NO.21  いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2019/05/01

          我が輩は猫であります。
          ですが、以前は人間もしておりました!
          人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
 
         【大井戸捜査網!事故中心的捜査隊物語】 その①

          ある国のあるところで大きな祭りがあって、多くの人が集まっていた。
          と、その附近に囲いのない井戸があり、男が一人落ちてしまった。
          男は必死に大声をあげたが、祭りの騒ぎや群衆の騒音で誰一人叫び声に気づかない。
          そのうちにビンという名の僧侶が井戸に近寄ってきた。喉が渇いていたのだろう。
          井戸を見下ろすと男が泣いたり叫んだりしている。
          「助けてくれ~!」

          すると、ビンは言った。
          「誰も他者(ひと)を助けることはできないと釈尊は申されました。おのれ自身の光たれ! 
          誰も他者を助けられる者はいない。助けを待つではない。それどころか、釈尊はこうも申された。
          すべての人は己のカルマ(業)を苦しまねばならぬとな。
          おまえさまもどこかで罪を犯されたからこそ、このように苦しまねばならぬのだろう。
          ならば静かに苦しまれるがよい。大声を出したり泣いたりせぬことだ」

          井戸の中の男は叫んだ。
          「まずは助けてくださいよ。後でゆっくりお説教も聴きますから。今聴こうったってムリだ!」
          しかしビンはさっさとその場を離れて行った。というのも、
          『他者のカルマに関わるなかれ』という仏陀の言辞を覚えていたからだ。

          次にやってきたのは儒者。これも一人の僧だった。かれも井戸を見下ろした。男はまた叫んだ。
          「助けてください。死にそうなんです。誰にも聞こえないようなんです」
          すると儒者は言った。
          「やはり孔子は正しかった。孔子はすべて井戸には囲いを作るべきだと言ったんだよ。
          だから心配することはない。我々は大躍進して社会を変えて行く。
          そして政府をして国中の井戸に囲いを作るように圧力をかける。だから心配しなくていい」

          井戸の男は言う。
          「でも、その時までには私は死んでしまう。
          それに私はもう落っこちてしまったんだから、 そんなことがどう役に立つんだ!」
          すると儒者は言った。
          「それは大したことじゃない。個人は大事じゃないんだ。個人は来てまた去って行く。問題は社会だ。
          だから君も、こんなことは二度と起こらないということを心のなぐさめにして平和に死ねますよ」
          孔子は社会の改革者だね…トホホ?

          さて次に現れたのが世界最大の宗教団体の方であった。イヨッ!ミスター宣教師!
          かれは井戸を見下ろすと、落ちている男が何も言わないうちに自分のカバンを開けた。
          中にはロープの付いたバケツも入っている。この方は常に、奉仕する万全の用意ができているみたいだ。
          ビョーン!! 男はまだ何ひとつ言っていないのに…

          アンレマー! 一体どうなるの?  
                                                続く。


              我が輩も泣きたいニャー
              ドット疲れてきた!
              神社でも行くべか!

                                             勾玉小僧拝
                                                   

神々のつぶやき NO.20  いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2019/04/01

          我が輩は猫であります。
          ですが、以前は人間もしておりました!
          人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
 
          祈りの根元? その②

          OHSOは寺に行った。
          そして二度と帰ってこなかった…彼は死んだ。
          その寺の神像の前に立って、ただ一度だけ彼は祈り、そして死んだ。
          本当に彼は祈りの内に全―(トータル)に入っていた。何ひとつおいていかなかった。

          祈りには、愛には、全―(トータル)なるあなたが必要とされる。
          ごく一部分であっても、残って見ていたり、計算したり操作していたりする部分があってはならない。
          断片だけであってはならない。あなたの全体が入るのだ。
          祈りが神聖になるのは、このためだ。あなたのすべてが全体的にその内に入るからだ。
          全―(トータル)に在ることこそ神聖なこと、ほかに神聖はない。

          OHSOは亡くなった。
          夜も更けてきたのにOHSOが戻らないとなって、父親は人をやって何が起こったか見に行かせた。
          が、OHSOはそこにはいなかった。ただ死んだ肉体(カラダ)だけが横たわっていた。
          しかし、その顔には変容を得た神聖な美しさが見られたという。
          死体でさえ<未知>なるもののオーラを放っていた。OHSOは変貌を遂げたのだった。

          憶えておくがいい。あなたがたのすることが何であれ、それは真実であるべきことを。
          見せかけであってはならないことを。
          憶えていなさい。それが何であれ欲望のためになされてはならない。
          そうではなく、愛の精神でなされるべきだということを。計算をいっさいせずになされるべきだと。
          なぜなら祈りとは、愛とは、<神>とは、算数の対象ではないからだ。
 
          OHSOは、百年かけてもダメだろうとこたえた。
          なぜかと問われて、彼は言う。
          「おまえの自己中心が、おまえ自身と真理のあいだの障害物となっているからだ…」
          自己中心の本物とは???
          この自己中心(Selfishness)という言葉を理解しておかなければならない!

          普通には、人を自己中心的な人と呼ぶ場合、何でも自分のためにする人、
          すべてを自分自身のために操作する人を指していう。だが、これは表面的な自己中心だ。
          これと同じレベルで非自己中心的(Unselfish)になりうる。それは難しいことではない。
          非自己中心的な人々とは、いつも他の人々のために働き、奉仕して役立とうとする人達だ。
          あなた方も、そういう人達を知っているだろう?

          だが彼らは自己中心的な人達と同じように、いやそれ以上に危険な存在になりうる。
          自己中心的な人は避けることができるが、非自己中心的に動く人から逃れることはできない。
          そういう人は大変危険だ。

          そういう人はあなた方を助けようとしているのだ。あなた方のために働こうというのだ。
          そういう人は重荷をつくりだす。そして、どこか深いところで、非常に奥深いところで、
          この非自己中心は、ふたたび自己中心になっている。
          その非自己中心を通じて<神性>を達成したいと思っているのだから!

          ある宗教の宣教師たちを見てごらん。
          彼らは実によく働く。人々に奉仕する。彼らは大した奉仕者だ。
          が、深いところで、その奉仕全体は自己中心的でありつづける。
          なぜなら、その奉仕を通じて彼岸に渡ろうと彼らは待ち望んでいるからだ。

          奉仕を通じて彼らは「はしご」の横木を組み立てている。その「はしご」を登って天国に行こうというのだろう。
          天国が終着地(ゴール)。奉仕はそのための手段。
          次は、これについて一つ話を聞かせよう。実に面白い話だ。またニャー。

          しかしフーフーフー! 我が輩ニャー
          何が何だか分からニャイ世界の話みたいだが何となく分かる気もするし、面白い話かもしれないニャー
          こんな事を言ってるすごい人達がいるもんだ

               次回、面白そうだニャー
               その前に神社でも行くべか!
               宜しく!
                                              勾玉小僧拝
                                                   

神々のつぶやき NO.19  いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2019/03/01

          我が輩は猫であります。
          ですが、以前は人間もしておりました!
          人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
 
          祈りの根元? その①

          たとえ百回生まれかわったとしてもダメだろうね。
          これは時間の問題ではない。もしまちがったことをしていたら、
          永遠にやり続けることだってありうる。時間の問題ではない。

          まちがったことをやり始めて、それをやり続けることはできないことではない。
          が、まちがったことを、たとえ百万回くり返したところで正しくなりはしない。
          一回であっても正しいことをやれば、あらゆることが落ちつく。

          祈りは、姿勢と質の問題かもしれない。
          どのくらい多く祈るかではなく、どのくらい深く祈るかだ。
          一日に何回祈るかは問題ではない。
 
          ベンガル地方にこんな話が伝わっていると聞いた。
          ずいぶん昔の話だが、一人のそれは論理的な男がいた。
          文法学者で名はOHSOといい、サンスクリット学者として名が高かった。
          彼は寺院に行ったことがなかった。年を取って60歳になった頃、
          父親が彼を呼んで言うには、「もう、いい加減にしたらどうだ」。
          90歳近いという父親は、こう続ける。
          私は毎日お寺に行って祈ってきたが、お前には一度として『行け』と言ったことはない。
          それと言うのも、いつかお前自身が分かるようになると思っていたからだ。
          ところが、もう時間がなくなりつつある。お前も年を取って、もう60歳じゃないか。
          寺に行く時が来ている。彼岸に渡るための用意をする時なんだ。
          いつになったらお祈りに行くんだね?」

          OHSOは言った。
          「お父さん、毎日毎日お寺へ通っても同じままで戻って来るあなたを見て、
          私はずっと問題は何回祈るか、何年祈るかではないんじゃないかと考えていました。
          大事なことは、いかに祈るかということにあるようです。質の問題なんですよ。
          長い年月、毎日二回お寺に行っても、まったく同じままで戻ってくる…。
          そんなあなたを見ていてそう思うんです。あなたのお祈りは、ききめがないようですね。
          どうしてなんでしょう? どこかまちがっているにちがいありません」

          「私は明日行きます。明日は私の誕生日。私は明日行って、私にできるかぎりのことをやります。
          私の存在のすべてを注ぐつもりです。一度だけ私も祈りましょう。
          だが一度だけですよ。もし何か起こるのだったら起こるがいい。
          もし何も起こらなかったらそれで終わりだ。私は二度とお寺になんか行きません。
          なぜって無益でしょうが。何の意味もないでしょうが。
          もし私が、自分自身のすべてを投入して何も残さず祈りに賭けたら、
          それ以上のことは次の日にはできませんからね。
          もしできるかぎりのことを心身こめてやったら、それ以上のことは不可能なんです。
          一度だけ私も祈りましょう。もし何かが起こったら起こるまでだ。
          何も起こらなかったら私はやめます。二度と再び祈ろうとはしないでしょう」

          父親は笑った。
          お前はバカだ。人間は何年も何年も祈らなくちゃならない。
          そうしてはじめて何かが起こるんだ。だがまあいい。見てみよう。明日行ってやってみるがいいさ」

               OHSOは翌日、寺に行った。

               一体何が起こったかニャー
                続くニャー
 

                                              勾玉小僧拝

                                             

神々のつぶやき NO.18 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2019/02/01

我が輩は猫であります。
ですが、以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
西洋であった話だが…

ヤクソク! その②

「私はまだ生きている。たとえ王国を失っても、これはまたいつか取り戻せる。もう一度征服することができる」

王は自分の命を救うために国を離れた。敵は追ってくる。その馬の足音が彼には聞こえていた。
それはどんどん近づいてくる。彼は走って逃げた。友軍を見失い、馬に死なれ、
今や王は自分の足だけをたよりに走り続けた。あちこちで傷ついて、もう足も血みどろだ。
これ以上走れないとなっても、彼は走らなければならなかった。おまけに空腹だ。敵は次第に近づいてくる。

と、彼は行き止まりの道に入り込んでしまった。道は途絶え、もう前方には何もない。
そこは絶壁だった。敵はますます近づいてくる。後退すれば、敵に出くわしてしまう。
かと言って飛び降りることはできない。この奈落は深すぎる。飛んだら死ぬだけだ。
もうあらゆる可能性が絶たれたかに思われた。
 
が、彼はまだ条件が完全に満たされるのを待つ。
「私はまだ生きている。もしかしたら敵は方向を変えるかもしれない。
あるいはこの絶壁から飛び降りても死なずに済むかもしれない。条件はまだ満たされていない」

その時、彼は敵が間近に迫ってきたのを感じた。崖から飛び降りようと下を覗くと、
今まさに2頭のライオンが谷に入ってくるのが見えた。腹を空かせてどう猛な顔つきで彼を見上げている。
もう一瞬の時も残されていなかった。彼の最後の瞬間はもう五本の指で数えられるほど切迫していた。

ついに、かれは指輪を抜き取った! そして、開いて宝石の下を見た。
そこには言辞(メッセージ)が彫られてあった。
「これもまた過ぎ去る」

彼はくつろいだ。
この王は、メッセージを通じて完璧な智恵を会得したと言われている。
これもまた過ぎ去る」というメッセージを通じて…

ことはそのように起こる。
敵は方向を変えて動いていった。ざわめきも聞こえなくなり、足音はだんだん遠ざかっていく。
彼は腰を下ろした。そして休み、ぐっすり眠った。

それから10日と経たないうちに、彼は軍団を再編成して国に立ちかえり、敵を制覇して宮殿を取り戻した。
人々は歓声をあげて祝い、喜び、狂わんばかりの大騒ぎだった。
路上には踊りの輪が広がり、色とりどりの灯(あかり)がともされ、花火が打ち上げられた。
王自身、興奮していた。彼は幸福の絶頂にあった。あまりの喜びに胸は高鳴り、幸福すぎて死ぬかとさえ思った。

と、突然彼は、指輪を思い出す。
そこで、宝石を開いて銘を見ると、このように書かれていた。
「これもまた過ぎ去る」
人生のマスターキー。
取り返した王国はその後500年は続いたという。

これを絶えず覚えておくこと!
深く、深く、途絶えず続くものとして、夢の中でさえ憶えていられるようにすること。
「これもまた過ぎ去る」
夢の中でも、あなたは「これもまた過ぎ去る」ことを知っているようにするがいい。
呼吸にも似て、いつもいつも、そこに在るように。そして、そこに在るということ、それが自分を変容させる。

これがマスターキーだ。
自分のもっとも奥深い秘密の扉を、自分自身のみ開くことができる鍵だ。
そこから、そこを通って「実在」の本体そのものへの扉が開かれる。
 人生バンザイ。

                                        なんとなく、スゴイ話だニャー
                                        しかし、王様はスゴイ人だニャー
                                        いろんな話があるもんだニャー 
                                        じゃ、またネ~

                                                   勾玉小僧拝
                                                        

神々のつぶやき NO.17 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2019/01/01

我が輩は猫であります。
ですが、以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
西洋であった話だが…

ヤクソク! その①

「なにゆえか知らぬが、余はある指輪を求めて心駆られている。
我が心の態を安らかに定めることのできる指輪だ。余はそれを有さねばならぬ。
その指輪は、余が心晴れぬ折には悦びを与え、また同様に悦びにある折に、
見ると悲しませるものでなければならぬ」

王に仕える賢人たちは互いに相い談じ、共に熟考した。

やがて、彼らは王の求めに叶う指輪の特徴(しるし)を決めるにいたった。
賢人たちが案出した指輪にはかく銘が彫られていた
「これもまた過ぎ去る」

その指輪が王の元に来た経緯は次のとおりである。
ある崇高な乞食(こじき)から授かったものだった。
 
彼は言った。
「これを王に渡すがいい。だが、一つだけ条件がある。王に言いなさい。
もうこれ以上耐えることはできないと感じるまで、この指輪の蓋を開けてはならない、と。
宝石の下に言辞(メッセージ)が隠されている。しかし、好奇心でそれを開けて見てはならない。
そんなことしたら、その言辞(メッセージ)の意を取り逃がすだけだ。
言辞(メッセージ)はそこにある。が、それと出会うためには、意識の上でもっとも適切な瞬間が必要だ。
それは宝石の下に彫られてこそいるが、簡単に開いて読めるような死んだ言辞(メッセージ)ではない。
この条件は、どうしても守られなければならない。
つまり、すべてが失われたとき、もう考えることすらできない完全な混乱状態、
これ以上ないほどの苦悶、もう何一つできることはないまったくの絶望状態…
こうなったとき、はじめてその指輪を拾い見るがいい。言辞(メッセージ)はそこにある」

王は条件を守った。
いつの間にか王は戦いに敗れ、国を失い、敵は勝利を得た。
王は何度指輪を取り出してその言辞(メッセージ)を読もうと思ったことか…
しかし、そのたびに王は、まだ全面的(トータル)にその瞬間に至っていないと思った。

「私はまだ生きている。たとえ王国を失っても!」

さて一体、この王はどこに行くのかニャー
次回をお楽しみに!
今年もよろしくネ。

                                           勾玉小僧拝
                                                

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