コラムまがたま語呂語呂

神々のつぶやき No.40 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2020/12/01

           我が輩はねずみであります。
           ですが、以前は人間もしておりました!
           我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた話をするチュー。
 
           それは呼吸と食と酒の変な?話。②
           ああ〜今年もこれで最後か!

           酒は人格を出せないが、酒はあなたの身体のパターンを変え、身体の化学作用は変化する。
           身体の化学作用が変わると共に、心(マインド)もそのパターンを変えざるを得ない。
           そして心(マインド)がパターンを変えると、新しい人格が現れる。

           ここに中国の最古の寓話のひとつがある。
           昔こんなことがあったらしい。
           酒の瓶が偶然テーブルから落ちてしまった。猫が飛び跳ねたのかもしれない。
           瓶は割れ、酒は床にこぼれて飛び散った。
           夜になり、三匹のネズミが酒の周りを囲んだ。

           一匹のネズミはすぐに言った。「俺はこれから王様のところへ行ってくる。
           宮殿へ行ってあいつに分相応の場所をくれてやるよ!」
           もう一匹は言った。「王様が何だってんだ。俺様が全世界の皇帝になるのさ。」
           三匹目は言った。「おめえら勝手にしてろ。俺は上に行ってネコちゃんと寝てくるぜ。」・・・

           人格がそっくり変わってしまった。------猫と寝ようと思っているネズミだった?
           それは起こり得るし、毎日の様に起こっている・・・・
           何であれあなたの食べるものはあなたを変える。
           何であれあなたの飲むものはあなたを変える。
           それは身体が多くの部分を占めているからだ。
           あなたの九十パーセントはあなたの身体だ。

              皆さん。
              酒飲み兎、食べ過ぎ兎君。
              新しい年明けからあらゆることに注意を払おう!
              食事、姿勢、眠り方、朝の目覚め方、仕事への認識、起床の時、就寝の時、酒を飲む時。
              飲んでいる時、特に人格ありき。
              ギリギリで深酒は止めよう。そして何事も酒が体内に残る時の判断はやめよう。
              必ず間違いがおこるぞ!
              注意する年にしよう。あらゆる事に注意を払おう。

              良き年を迎えようぜ!
              兎は月で餅をつく!

                                            勾玉鼠小僧拝

                                              

神々のつぶやき No.39 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2020/11/01

           我が輩はねずみであります。
           ですが、以前は人間もしておりました!
           我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた話をするチュー。
 
           今日のテーマでチュー
           それは呼吸と食と酒の変な?話です。さあ行くべか!

           あなたの呼吸は変化する。
           走っている時変化すると言います。
           いつもより酸素がたくさん必要だからと申します。
           走っていると呼吸は変わり、呼吸が変われば思考がすぐに変わると言います。

           チベットでは怒っているなら少し走れと言われている。
           家の周りを二、三周して戻り、怒りがどこへ行ったかを見る。
           速く走ると呼吸は変化する。
           呼吸が変わると思考パターンが同じままではいられず、変わらざるを得ない。

           何も走る必要はない。
           五回、深呼吸をするだけでもいい。吸って吐く。
           そして、どこへ怒りが去って行ったか見てみる。

           怒りを直接変えることは難しい。
           身体を変え、次に呼吸を変え、そして怒りを変える方が簡単だ。
           これは科学的なプロセスとも言う。

           次の科学的な話をしよう。
           姿勢を変えたければ食事の習慣を変えよと言う。
           なぜなら、食習慣は微妙な姿勢を生み出すからだ。
           あなたが肉を食べる人なら覚者のように座ることはできない。
           肉食をする人の姿勢と菜食の人の姿勢は異なる。
           身体は食事によって築かれるからだ。それは偶然のたまものではない。

           何であれあなたが身体に取り込むものを身体は反映する。
           肉を食べる時あなたはただ肉を摂取しているだけではない。
           その肉の元である動物を自分の中に招き入れている。

           肉は特定の身体の一部であり、特定の衝動のパターンの一部だった。
           数時間前その肉は動物でその動物が感じ取ること、その、その動物の習慣のすべてを含んでいた。
           肉を食べているとあなたのさまざまな態度が影響を受けるだろう。
           また、あなたが繊細なら、特定のものを食べると、
           たちどころに特定の変化が起こることに気づくであろう。

           ネズミを食べ続けたら一体どんなことになるのかチュー!
           変なの!


                さあ、次回はいよいよ我が輩が大好きな酒についてである。
                乞うご期待!

                                              勾玉鼠小僧拝
                                                
                                                

神々のつぶやき No.38 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2020/10/01

        我が輩はねずみであります。
        ですが、以前は人間もしておりました!
        我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた話をするチュー。
 
        今回は素晴らしき日本の八百万の神々の話ではなく、異国の神々の話です。
        イエスの知られざる生涯だとさ!(その二 続き)

        イエスは偉大な革命家であり、精神的指導者だった洗礼者ヨハネの弟子だった。
        洗礼者ヨハネはイエスを何年もの間待ち続けたと言う。

        そしてヨルダン川でイエスに洗礼を与えた日、イエスに言った。
        「さあ、あなたは私の仕事を継ぎなさい。そして私は消え去ろう。私の役割はもう終わった。」
        そしてその日以来ヨハネが再び現れることはなかった。

        本当のイエスの最後とは次のような事とも言われている。
        イエスはエルサレムを抜け出し、彼が後に留まったカシミールへ行った。
        だがそこでの彼の人生はイエスの人生ではなくキリストの生だった。

        彼は完全に沈黙して生きていた。それが彼の記録がない理由でもあった。
        どんなメッセージも与えようともしなかった。説教をしようともしなかった。
        彼は革命家としてではなく、マスターとしてカシミールに留まり、彼自身の沈黙の中で生きた。

        何人かの者たちは彼と共にいるためにカシミールへと旅をした。
        カシミールで彼が生きていることに気づいた人々は何ひとつ
        そうした情報がなかったにも関わらずそれを知り、彼の元へと旅をした。
        そして実際、少数ではなかった。おそらく世界と比較すればほんの僅かだが、かなりの数だった。

        キリスト教は不完全と言っている人もいる。なぜなら早期の革命的なイエスしか知らないからだ。
        それゆえにキリスト教は共産思想を誕生させることができた。
        だがイエス自身は完全に光明を得た人――満月の人として死んだと言われている
        本当かどうかのこのような話が今もつながっていると言う。――

                アア〜アーメン
                スゴイ話しでしたチューチューチュー
                又神社でも行くべか!
                少し頭を冷やすべ!!

                                               勾玉鼠小僧拝

                                                  

神々のつぶやき No.37 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2020/09/01

        我が輩はねずみであります。
        ですが、以前は人間もしておりました!
        我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた話をするチュー。
 
        今回は素晴らしき日本の八百万の神々の話ではなく、異国の神々の話です。
        イエスの知られざる生涯だとさ!(その二)

        その女は言った。「子供が生き返るようにと願って今戻って来たのではありません。
        私は仏門に入るために戻って来たのです。子供は死んでしまいました。
        私もいつの日か逝くでしょう。あらゆる人が逝くことでしょう。
        決して終ることのない生へ。私を導いて下さい。」

        これこそが偉大なる奇跡だ!!だが私たちはそう考えない。
        もし子供が生き返っていたら、それは奇跡だったろう。

        その女性は変わった。
        子供の死は生への欲望を満たすために使われたのではく、放棄のために使われた。

        ブッダの弟子が空腹でも、ブッダが奇跡を行い、パンを与えたりしないだろう。
        その反対に彼は言うだろう。「空腹の目撃者になりなさい。空腹の超越のために
        空腹を立ち退かせることができるように目撃者になりなさい。空腹はあなたではない。」と。

        イエスはパンを与えなくてはならなかった。
        そしてブッダは彼の追随者たちに断食をするように仕向けなくてはならなかった。
        誰かにパンを与えることは実は奇跡ではない。
        だが誰かに断食の準備をさせることは奇跡だ。しかし奇跡とは一体何だろうか!

        私が見るにイエスがもし奇跡と言う作業に固執しなかったら
        人類へもっとましな貢献をしていただろうと言っている人たちもいる。
        奇跡と言う概念の想いを持って彼は愚か者たちを惹きつけた。
        大衆はいわゆる奇跡と呼ばれるもののためにイエスに興味を持った。
        彼は奇跡を通して彼らを助けようとしたが、それは不可能だった。
        むしろその逆で、彼自身がトラブルに巻き込まれたのだった。

        イエス様の事をこのように書いていいのだろうか?アーメン。少しお許し下さい!
        続けます。

        みんながサイババのところへ行けば彼があることをするのを見るだろう。
        だがその時、ただ愚か者だけがそれに惹きつけられる。
        もし私の手の中に指輪が出現したとして、それが何だというのだろう?
        それが精神的現象とどう関わりがあるというのだろうか?
        たとえこの家が丸ごと消え去って次に再び現れたとして・・・それがなんだと言うのだろう。
        だから私は奇跡という概念には関心が無い!

        イエスが永遠について終わりのない罰について話す時、革命の言語で語っている。
        革命家の目は常に理想と反対の結果に向いている。
        しかしブッダやマハヴィーラからは想像できない言葉だ。だがイエスは金持ちが
        神の王国に入ることは針の穴を通ることより難しいと言った。金持ちは通ることができない!
        これは共産主義の種、基本的種子だ。

        イエスは革命家であったと言う。彼は精神性のみに関わっていたのではなく、
        経済、政治・・あらゆることにも関心を持っていた。
        もし彼がただの精神霊的な人間だったとしたら、磔にされなかっただろう。
        だが彼は社会組織全体にとっても危険な者になったので磔にされたのだ!とも言っている。

        ―続くー

                アア〜アーメン
                スゴイ話しでしたチューチューチュー

                                               勾玉鼠小僧拝

                                             

神々のつぶやき No.36 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2020/08/01

        我が輩はねずみであります。
        ですが、以前は人間もしておりました!
        我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた話をするチュー。
 
        今回は素晴らしき日本の八百万の神々の話ではなく、異国の神々の話です。
        イエスの知られざる生涯だとさ!(その一)

        一、 イエスは完全に光明を得ていたか?
        二、 イエスはカシミールで別の名前で生きたのか?
        三、 聖書の中には多くの奇跡が記録されている。
          (例えばその体がすでに死臭を放っていたラザロをイエスが死の淵から蘇らせたことは?)
        四、 亡くなった人間を蘇らせることは可能なのか?
        五、 聖書に報告されている他の奇跡についてはどうか?
          (例えばイエスがパン2切れと5匹の魚で何千という人々の空腹を満たした
           という言葉だが、それについて説明はいかに?)

        いろいろあるチュー!

        さて、ここにひとつの物語が記録されている。
        ブッダはひとりの子供が死んだある村にいた。
        母親は子供のことが忘れられなくて泣き叫んでいる。
        そして自殺をして現実から逃れようとしていた。

        そこである者が言った。
        「ブッダのところへ行きなさい。彼なら何でも可能です。彼は光明を得た人です。行ってみなさい!
        彼は慈悲深い方です。彼があなたに慈悲始めれば子供は生き返るかも知れません。」
        そこで彼女は死んだ子供を脇に抱えてブッダの元へとやって来た。そして子供をブッダの足下に横たえた。
        ユダヤ人の国で、これと同じような状況の中でイエスに何が起こるかを想像してみなさい。
        もし子供が生き返らなかったら、イエスはそれで完全に終わりだったろう。
        なぜならそうしたらイエスは自らが主張するような人ではなかったことを証明してしまうからだ。
          
        だが子供がブッダの元へ連れて来られた時、彼は何と言ったと思う?
        彼は母親に言った。
        「あなたの子供を生き返らせてあげよう。だがその前にあなたはあらゆることをしなくてはならない。
        村中のあらゆる家へ行き、一度も死人の出たことのない家を探し当てるがいい。もし一度も
        死人の出たことのない家がこの村にあったら、その時には夕方私はあなたの子供を生き返らせてあげよう。」

        母親は出て行き、あらゆる人々に尋ねた。すべての家ですべての家族で誰かが亡くなっていた。
        夕方、彼女が戻ってくる頃までには、死は現実であるということ、
        死は生の一部なのだということに彼女は気づいたのだった。

        ブッダは彼女に尋ねた。
        「さてどうかな?誰かの死によって苦しまなかった人、家族、家があっただろうか?」
        その女は言った! ―続くー

                    ブッダとイエスとは何者かなぁ〜
                    チューチューチュー

                                                勾玉鼠小僧拝

                                                 

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